あとすこし

 本日は祝日なのですね。さて何の日であるのかと思いましたら「海の日」と

のことで、あまり「海の日」らしい気分にはならなかったことであります。

朝のうちは雨で、そのあとは曇りが続いてお昼からは晴れ間もでたのですが、

からっとした晴れになったのは夕方近くになってのことでした。

 本日の夕方には、ほんと久しぶりで芝生の刈り込みをすることにです。雨が

続いたせいもあり、それなりに芝は伸びていたのですが、ちょっと不揃いで

すこし出来がよろしくないかな。なんといっても、芝生の下に大きな蟻の巣が

作られたいたのですから、痛んでいないわけがないか。

 本日までに図書館から借りている「秘密の戦争」は読了の予定でありました

が、すこし残したままで夜となってしまいましたので、この休み期間での読了

は難しいようであります。それでもまったくわかってはいないのですが、終わり

までたどりつけそうなのは、ちょっとうれしいことですね。

 この「秘密の戦争」は、ポーランドウクライナソ連をめぐる20世紀初め

の政治状況なのですが、ポーランドソ連に対抗するためにウクライナを味方に

つけようとし、ソ連ソ連ウクライナを利用しようとするのですからたまった

ものではありません。

 ウクライナが独立国家のような形になっては、ソ連邦が解体してのことであり

まして、それまではウクライナ民族は、ほとんどクルド民族のような存在であり

ますね。

「(戦後のポーランドは)ユダヤ人に対するホローコースと、ソ連との住民交換、

戦後に獲得した西側領土からのドイツ系住民の追放によって、ポーランドは単一

民族国家に近づきつつあった。非ポーランド人の居住地域は南東部だけになり、

そこにはウクライナ人と、レムコ人(スラブ系の少数民族)を自認するウクライナ

話者が暮らしていた。1947年春、ポーランド軍と公安はこの南東部の住民に

対して、年齢、性別を問わず、14万人を国内の北と西方に移住させるという強硬

策に着手した。ウクライナ人に分類された住民は、徒党を組めないよう小集団に

分けられ、遠く離れた国の反対側に、しかし治安維持のため国境からは距離を置い

た地域に、分散移住させられた。・・ポーランドの新しい為政者は、こうした民族

浄化によって『ウクライナ人問題を一度に、そして永遠に片付ける』つもりだった。

・・彼らの脳裏には、ウクライナ人の民族主義勢力が戦時中に行ったポーランド人に

対する民族浄化の記憶があった。」

 なるほどなです。最近にウクライナのネオナチといわれるのは、このような民族

主義勢力の流れを組む集団をめぐってのものですね。