1914年夏 6

 「皇帝の胸像」の主人公である伯爵は、「国に規約のない官庁」というようなことを
仕事にしていたのですが、それは、次のようなことであります。
「ひたすら『民族自決』の声を制圧するのに情熱をそそいでいた。おりしもそのころ
君主国一円に『民族自決』の声が高まっていた。誰かれなしにー好むと、好むかの
ふりをしなくてはならにあとにかかわりなくーオーストリア君主国に含まれた数多の
国々の自決について口にした。知られるように十九世紀になって人々は、個人が市民と
して認められたいのなら特定の国あるいは民族に属さなくてはならないことを発見した。
・・・当時、民族主義がわが世の春を謳歌していた。今日、猛威をふるっている野蛮化
の先ぶれを演じていた。それは一般に愛国心といわれるもので、新時代の卑しい階層が、
みずからに応じて生み出した卑しい感情のたまものである。」
 結局のところ、オーストリア帝国民族主義の台頭によって崩壊をするのであります
が、作者のロートはオーストリア人であって、みずからの民族的な出自を絶対的なもの
とはしていなかったようです。これが当時のユダヤ系の人々のありかたであったのか
どうかはわかりませんが、ヨゼフ・ロートに関して言えば、オーストリア人という意識
でした。
「どこにいようともオーストリア人以外の何ものでもなかった人々が、『時代の声』に
従いはじめた。いまやそれぞれポーランド人、チェコ人、ウクライナ人、ドイツ人、
ルーマニア人、スロヴェニア人、クロアチア人であった、みずからの『国家』を持つ
べし、というわけだ。」
 いまから百年まえのことを描いた作品でありますが、この時からの百年間で、何度か
世界地図が書き換えられました。
 それにしても「民族主義」と宗教の違いというのは、国家を限りなく細分化していく
ものであるようです。
「きまぐれな世界史というやつが、自分が故里と呼んでいたものにまつわるひそやかな
よろこびを壊してしまった。いまや周りでは、そしていたるところで新しい祖国を言い
そやす。その者たちの目では、この自分はいうところの『祖国喪失者』にほかならない。
いつもそうだった。そうだとも!かっては祖国があった。まことの祖国、つまり、『祖国
喪失者』にも祖国であるような、唯一ありうる祖国、他民族国家のオーストリア君主国
は、まさしくそのような国だった。その国が消滅して、いまや自分は故郷喪失者である。
永遠の放浪者にそなわっていた唯一の故里を失った。」
 この最後い引用したくだりなどは、ヨゼフ・ロートの思いそのものでありましょう。
こう書いた時には、ユダヤ人による国家ができるなんて思ってもいなかったことで
しょう。ロート「永遠の放浪者における故里」がオーストリア帝国であるわけです。
 このような感慨を見て、これはなんとなく「昨日の世界」のようであるなと思ったの
ですが、それはあたらずといえどでありますね。

昨日の世界〈1〉 (みすずライブラリー)

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