大相撲で大関といいましたら、その昔は番付の一番上に位置すると聞いた
ことがあります。横綱が置かれるようになったのは、明治に入ってからでしょ
うか。
当方が子どものころは大関になるのはとっても大変で、あの力士は十分に
大関の実力はあるのに、留め置かれて関脇で終わったというような話を聞いて
おりました。相撲がハングリースポーツであって、中学をでて相撲取りになる
というのが当たり前(中学に行きながら相撲取りをしていたなんてのもありま
したね。北の湖は中学校卒業の時には幕下にあがっていました。)
大学出の相撲取りもモンゴルからの力士もいない時代の話であります。
大関になることが出来ず、最強の関脇といわれて、今も記憶に残っているのは
長谷川という力士でありました。
それとくらべると、最近は一定の成績をあげるとすぐに大関になるようで、そ
のことからも大関の地位が安くなっているようです。そのせいもあって現在の
番付にはあちこちに元大関というのがいまして、その昔では大関を陥落したら、
引退というような雰囲気でしたので、隔世の感ありです。
そんなことを思ったのは、次の本を手にしたからでありますね。
昭和から平成にかわる頃の芥川賞の候補にのぼった作品から、読売新聞の
鵜飼哲夫さんが選(三十代の編集者と一緒に)したものです。
芥川賞といえば、もともとは純文学の新人賞という位置づけでありますが、
いまではもっと権威を持っているかのように受け止められています。
当方の世代にとっては、あの人も、この人も芥川賞には縁がなかったと思
うのでありますが、最近の人は芥川賞を受けていない人なんてと思うのでは
ないでしょうか。
たしかに芥川賞を受けた作品と、惜しくも受賞を逃した作品というのは、
目にする機会がダントツに違ってきて、やはり受けたほうが商業的な成功を
おさめるようです。
この作品集におさめられたなかでは、河林満さん、小浜清志さんという
作家さんは、初めて知る名前でありました。河林さんは辻原登さんと、小浜
さんは笙野頼子さんとぶつかって涙をのんだことになります。(それぞれ
複数回候補になっていますが)
結局は芥川賞に縁のなかった佐伯一麦さんは、そういえば、次のような本
を残していますし、芥川賞を受けることはなかったが選考委員になっている人
もいますね。
その昔は、ずいぶんと芥川賞の壁は高かったといえるでしょう。
今回この本を借りたのは、ここの多田尋子さんの作品が入っていたからで
あります。最近まで名前を知ることのなかった作家さんですが、この方は六度
も芥川賞候補になったということで有名な方だそうで、昨年に作品集がでた
ことで、文学好きのブログなどで話題になりました。
多田さんは昭和七年のお生まれとありまして、作品を発表していたのは1990
年頃で、すっかり過去の人ですが、昨年にでた作品集には未収録の「毀れた
絵具箱」という作品を、今回読むことができました。
なかなか不思議な味わいの作品でありまして、これで芥川賞を受けていたら、
多田さんはそのあとも創作を続けたのだろうか、それとも受賞しなかったのが、
良かったのかと思ったりです。
実力は十分に芥川賞にふさわしいと、伝説の存在になった感がありますが、そ
のほうが多田さんは幸せだったのかもしれません。