このところ首相の辞任にめぐって騒がしいことになっています。
当方はこの首相は嫌いでありますので、金子兜太さんにならって、この人の
やり方は許せないと、ずっと思っていました。もっと早くにここまでひどく
なる前に責任をとってやめるべきでありましたでしょう。
難病による病状悪化を原因にやめるというのは、なんとなく彼らしいので
すが、その難病で辛い思いをしながら仕事を継続している人たちに対して、
失礼であるようにも思います。
病気のせいにはせずに、自分の失敗の責任をとって辞任というのであれば、
すこしは評価があがったでありましょうに。
出藍の誉れという言葉がありますが、一般的には初代から二代目と代が下が
るに従って、人物としては小さくなって三代目には「売り家」となると言われ
ています。代が下がるにしたがって能力が二割ずつ落ちるとすれば、二代目は
初代の8割、三代目は6割引きであります。
三代目にしがみつく商店が閉店を余儀なくされるという過去の歴史を見る
ならば、この国の現在は閉店間際か、それとも国ごと売られるのかでありま
す。
そんなことを思っているところに磯崎憲一郎さんの「日本蒙昧前史」であり
ます。
先日にも、この本の書き出しのところを引用して紹介しておりますが、もう
すこし長くに引用です。
「幸福の只中にいる人間がけっしてそのことに気づかないのと同様、一国の
歴史の中で、その国民がもっとも果報に恵まれていた時代も、知らぬ間に過ぎ
去っている。・・・・
もちろんこの頃(注 1984年ころのこと)に、人々同質性と浅ましさに
蝕まれつつはあったが、後の時代ほど絶望的に愚かではなかった。解けない謎
は謎のままに蓋をするだけの分別が、まだかろうじて残っていた。」
これが書き出しのページでありまして、1984年くらいはまだ「絶望的に愚か
ではなかった」という認識を示しています。作中で取り上げられるイベントは、
大阪万博とか、グリコ森永事件、五つ子誕生などでありますが、こうした出来
事に垣間見える「絶望的な愚かさ」への道について、磯崎さんは書いていくこ
とになりです。
社会派といわれる作家でありましたら、もっとねちっこく書いていくので
しょうが、磯崎さんはそれらの出来事を詳しく書くのが目的ではなく、これ
らの出来事の中にちらっと姿を表す「愚かさの芽」に着目であります。
磯崎さんは1965年生まれ(それころ東京オリンピックを知らない世代)です
が、今の時代に危機感を覚えているということは伝わってきました。
当方も、どうしてこんな世界(日本だけでなくて)になってしまったのだろう、
それをすこしでも戻すことはできるのだろうかと考えることです。
磯崎さんの本の帯には「我々は滅びゆく国に生きている」とあるのです。
まだ滅んではいないのですが、これが多和田葉子さんの世界になりましたら、
「地球にちりばめられて」ではすでに消滅しているのですが、この時代の
この国が世界で一番すごいのは国家財政の借金額でありまして、それもこれも
これしかないといって、借金路線を進めてくれたリーダーのおかげであります
が、それに喝采をあげていて、素晴らしいリーダーといっていた人も多いので
ありますね。
十年後には、この8年弱はどのように振り返られるのでしょう。彼の口癖は
「悪夢のような」でありましたが、どちらがより悪い夢だったのでしょう。