なんてこった

 昨日の能登半島震源とする地震の被害は、一夜明けての本日になり、徐々に

全体が見えてくることにです。それにしても、半島から南の海岸線には原発施設が

たくさんありまして、この国の原発施設は地震震源近くに立地を決めているので

はないかと勘ぐってしまうことです。

 そんなふうに思いながら、本日も箱根ではなく能登の情報に注目することにです。

一日に何度も大きな余震がありまして、これは大変だなと思いましたが、金沢に滞

在の家族からはだいぶん揺れにも慣れてきて、本日は近所の神社に初詣に行った

とのことでした。

 一方では家族と連絡が付かない被災地の方々いるのでありますが、こちらの家

族は落ち着いてきているとのことで、すこしほっとすることです。

 夕方になって本でも読みましょうかと、文庫本を手にしていたら、羽田空港で火

災との放送です。これはどういうことと思っていたら、飛行機火災ということがわか

りTVをつけてみましたら、能登から映像は羽田に変わっていました。

 着陸した旅客機が、他の飛行機に接触して発火したのですが、当方が見た時

にはどっと火の手があがっていて、これは相当に犠牲になる方がでるのではと、

気持ちが落ち込んだことです。北海道からの便でありますので、思わず知っている

人が誰かのっているのではとも思ったのですが、こちらは幸いなことに乗客、乗員

は皆避難に成功して、犠牲者がなかったことがよかったことです。もう片方の飛行

機は乗員に犠牲があったとのことで、明暗がわかれたことです。

 このようなお正月ってあっただろうかと思って、先月に文庫がでた「日本蒙昧前

史」を手にすることです。

 この小説の書き出しは、次のようになります。

「幸福の只中にいる人間がけっしてそのことに気づかないのと同様、一国の歴史の

中で、その国民がもっとも果報に恵まれていた時代も、知らぬ間に過ぎ去っている。

その年の正月、三が日快晴の予報は外れ、関東地方では三日に雪が降った、する

と白髪の老婆が現れ、灰色の空を見上げながら預言者めいた口調で呟いた。

『今年はきっと、よくないことが起きる』だがそれは、雪がちらつくなか自転車を乗り

回して遊んでいる子供たちの、抑揚のない、金属的な声に不吉なものを感じただけ

のことだったのかもしれない。」

 この書き出しは1984年にあったグリコ森永事件へとつながっていくのですが、

作者 磯崎憲一郎さんによれば、「もちろんこの頃既に、人々は同質性と浅ましさに

蝕まれつつはあったが、後の時代ほど絶望的に愚かではなかった、解けない謎は

謎のままに蓋をするだけの分別が、まだかろうじて残っていた。」となるのでした。

 これから日本はいわゆるバブル期に入っていくのですが、この本は「蒙昧前史」

でありますので、このあと蒙昧路線をまっしぐらということなのでしょうか。