本日も高崎俊夫さんの「祝祭の日々」から話題をいただきです。
当方は映画をよく見る方ではありませんので、映画雑誌なんかもほとんど購入し
たことがありません。映画雑誌というとその昔でありましたらスター雑誌ともいうよう
な「映画の友」というのがあって、それとはちょっと趣を異にする「キネマ旬報」があっ
て、理屈っぽい人向けの「映画芸術」などがあったことは、当方も知っています。
このところ日曜朝8時50分から教育テレビで「沢村貞子さんの献立日記」という
のをやっていますが、沢村さんの夫になったのは、「映画芸術」編集長の大橋恭彦
さんでありました。大橋さんは、編集路線の違いから小川徹さんに追い出されて
しまうのですが、小川さんの時代のほうが、当方にはなじみであります。
映画批評の雑誌を出しているところは、どこも弱小資本でありますので、経営は
大変であったようです。本日に読んでいたところでには、次のような記述がありです。
「1977年、当時、『キネマ旬報』のオーナーであった大物総会屋・上森子鐵が、突然、
竹中を<左翼過激派>と名指しして、『日本映画縦断』の打ち切りを宣言し、白井
佳夫も編集長を解任されるという事件が起きた。いわゆる<『キネマ旬報』事件>
である。」
この雑誌も総会屋がオーナーでありましたか。
編集者といっても、大きな出版社からできてはすぐにつぶれてしまうような映像系
の雑誌までさまざまですが、同じ編集者といっても待遇は大手とは比べることができ
ないことでありましょう。
高崎さんは、「スターログ日本版」「月刊イメージフォーラム」「一枚の繪」「AVストア」
という雑誌の編集者をしていたのだそうです。当方が手にしたことがあるのは、「一枚
の繪」のみでありまして、ほかはまったく縁がなしであります。
本日に大島渚さんについてのところを読んでいましたら、このくだりがありました。
「大島さんとじかに会ったのは、『月刊イメージフォーラム』編集部に入った直後の
1982年である。大島さんは『戦場のメリークリスマス』のクランク・インを控えており、
ロケ地であるラロトンガ島に出発する直前に、編集部でロングインタビューを行った
のだ。聞き手はダゲレオ出版代表の富山加津江さんと編集長の服部滋さんで、私は
隅のほうで黙って聞き入っているだけであった。」
「イメージフォーラム」なんて知らないなと思っていましたら、高崎さんが参加した
時の編集長は服部滋(ウェッジで編集をしていた)さんであったと知って驚きました
です。 文芸系の編集者とはちょっと毛色のかわった人たちのお話でありますね。