送っていただいた「大和通信」第132号を拝見していましたら、4月11日
土曜日に「夜がらす忌」と案内がありました。4月は、第一土曜日が東京の
全生庵で「げんげ忌」(詩人の菅原克己さんをしのぶ会)が開催されること
になっていて、その次の第二土曜日は、奈良で川崎彰彦さんをしのぶ「夜
がらす忌」の開催です。
ことしの「げんげ忌」についての情報はありませんが、たぶん開催される
のでしょう。「大和通信」によりますと、今年の「夜がらす忌」は、11時半から
お墓参りで、13時半ころからお花見なのだそうです。今年も参加することは
できそうもありませんが、4月下旬には私用で関西へと行く予定をしている
のですが、なかなか思うにまかせないことです。

届いた「大和通信」には、トップに「邂逅 佐々木康之」という文章があり、
最後に「川崎彰彦との交流 小沢信男ノート 中尾 務」が置かれています。
小沢信男さんについて、このように取り上げられることは少なくて、ファンとし
ては、とてもうれしく拝見をすることです。
佐々木康之さんは、京大仏文OBで、「VIKING」の同人だったのでしょうか。
佐々木さんの文章は、茨木の富士正晴さんのところに遊びにいったら、小沢
信男さんと偶然一緒になったということから始まります。
その当時、小沢さんは「VIKING」の東京ブランチを立ち上げたということで
同人のなかでは有名な存在で、この人が小沢信男であるかと思ったとのこと
です。(このとき、佐々木さんは小沢信男さんの作品は、まだ読んでいなかったと
あります。)
「豊橋に帰って、大学で同僚の中村喜夫さんにその話をしたら、『ああ、会いた
かったな。ぼくは小沢信男の書くものは小説でもドキュメンタリーでも、みんな
好きなんだ』と、羨ましがった。
何か面白いものを貸してくれますか、と頼んだら、『わが忘れなば』を貸して
くれた。」
このあと、中村喜夫さんは、小沢さんと同じく若い頃に結核にかかっていて、
胸部形成手術を受けることによって、生き延びたことから、小沢さんも含めて
同病の知人への思い出に移っていきます。
佐々木さんは、就職した愛知大学で、詩人の丸山薫と同僚となり、その縁で
丸山薫没後に全集編纂の手伝いをするのですが、「小沢さんが若いころ、丸山
さんに師事して『青い花』という同人誌に入っていたこと」を意識することにな
ります。
ちなみに中村喜夫さんは1920年生まれ、小沢信男さん1927年生まれ、
そして佐々木康之さんは1935年生まれでありまして、この15年の間に、結核の
特効薬なども生まれて、結核で胸部形成手術などは施されることもなくなりま
した。(そういえば、昔はこの手術のために、片方の肩が下がっている方をずい
ぶんと見かけたことです。)
佐々木さんが中村喜夫さんから借りて読んですっかり魅了されたという
「わが忘れなば」は、ちくま文庫「ぼくの東京全集」で読むことができます。
中尾さんの「川崎彰彦との交流」にふれることができませんでした。ごめん
なさいです。
