先日に友人から、久しぶりに電話があって話をしていましたら、今年も快調に
映画を見ているよといってました。彼が住む街には映画館がないので、往復で
1500円近い運賃をかけていって、一回に二本くらいを鑑賞するのだそうです。
昨年は88本で、三桁に届かなかったので、ことしは月10本ペースで行くのだ
そうです。
それに比べて当方の残念なことでありまして、昨年はほとんど映画館へと足
を運ぶことはなしで、TVなどであったものでも、いくつ見たでありましょう。
とはいうものの、新聞に掲載の映画評はまめに目を通しているのです。
もともと新聞などで取り上げられるような映画は、当方が住んでいるような小さ
な街にある映画館では上映がなしでありますので、評判を聞いていてもまった
く目にすることはできなかったのですね。後年になってビデオなどがでるように
なって事情はかわりましたが、レンタルビデオ屋さんへと通うこともなくに終わ
りました。
ということで、当方はブッキュシュな映画ファンであります。
図書館から借りています「祝祭の日々」は、そうした映画ファンにもうれしい
話題が満載となっています。
本日に目を通していて印象に残ったくだりであります。
「1970年代初頭、私は高校生だったが、その頃が、もっとも熱心に新聞の面白
そうなカルチャー記事を丹念にスクラップしていた時期で、なかでも朝日新聞の
堀英三の記事には注目していた。そのすっかり黄ばんでしまったスクラップ帖は
今も手許にある。」
70年代初頭に、私は大学生でありました。新聞のスクラップをやっていて、
そのスクラップはいまも保存されているはずです。(すぐには取り出せませんが)
あの頃に尖った映画を紹介していた記者が堀英三という方であったことを、
この文章で知りました。
上に続いてのところで、次のようにあります。
「堀英三は、その前後にも、『水俣一揆/一生を問う人々』(73)を完成させた土本
典昭へのインタビューと作品評、森崎東監督へのインタビュー、原正孝の『初国
知所之天皇』(73)、『フェリーニのローマ』(72)の作品評、それに、藤田敏八、
金井勝などの映画人の動向をレポートする『映画ある状況・ある情熱』という
連載を手がけているが、これらの記事は、今読んでも、充分に刺激的である。」
当方の同学年で最初に有名人となったのは、上の引用にある原将人こと原
正孝さんでありました。麻布高校在学中にフィルムデビューして、新聞に大きく
とりあげられていたのだけど、あれも堀さんの記事であったのか。
この記事を目にしていなければ、つぎのようなことを書くこともなかったで
ありましょう。
vzf12576.hatenablog.com それにしても、この堀英三さんは「出る杭は打たれるというか、そのあまり
に先鋭的な仕事ぶりが朝日新聞社内で問題視されたようで、その後、しば
らくして、新聞本体から『朝日ジャーナル』編集部へ異動となったという話を
聞いた。その後の、彼の消息は知らない。」とあります。
映画批評の世界に長い高崎俊夫さんが消息を知らないというのでありま
すからして、これは気になることであります。