本日は芝居話題

 野暮用から戻って録画してあった「ごごナマ でんでん」のところを見ること

になりました。当方よりもちょうど一歳年長でありますが、デビューは遅かったの

ですが、ここのところほんとひっぱりだこの活躍です。

 当方は「星屑の町」で舞台を見ることになったのですが、そのときには、あれ

そのむかしの「お笑い勝ち抜き」にでていた人さと教えられました。その番組を

見ていなかった当方には、ほとんど未知の役者(というか、その頃はお笑いの

世界の人という印象)でありました。

 本日の番組では憧れの役者として渥美清さんの名前をあげていました。

(でんでんさんの紹介ページにも渥美清にあこがれて、弟子入りしたいと思った

とありました。) 

渥美さん出演のTVドラマ「泣いてたまるか」とか「おもろい夫婦」を見たことが

渥美さんにはまった理由とのことです。なるほどでありますね。当方は、役者に

なろうなんて思ったことはありませんが、その後に来る「男はつらいよ」への助走

期間でありますから勢いがありました。

 そんなことを思ったのは、先日に図書館から借りてきた「蜷の綿」という本を

手にしていたからでもあります。

蜷川幸雄と「蜷の綿」

蜷川幸雄と「蜷の綿」

 

  北海道出身の若い劇作家 藤田貴大さんが蜷川幸雄さんからバトンを引き

継ぐという話ですが、二人の間でかわされた交換日記とかも掲載されているもの

の、当方がまず読んだのは、蜷川さんのそばにいた奥さん(真山知子さん)とかっ

て蜷川組であった石井愃一さんのインタビューでありました。

 その石井さんのインタビューのなかに渥美清さんが登場するのです。

「蜷川さんとの出会いはね、1971年の四谷公会堂でやった現代人劇場の『東海

四谷怪談』という芝居なんですよ。・・この稽古中に、ある二枚目俳優がデモで

パクられて出演できなくなっちゃった。そのとき制作をやっていた中嶋稔さんが

いろんなところに声をかけたんですよね。・・そのとき、僕はたまたま渥美清の事務

所にいて、渥美さんのマネージャーの高島幸夫さんの家に年中出入りしてたんで

すよ。」

 いまは佐藤B作さんの「東京ボードヴィルショー」の重鎮となっている石井さん

にもこのような時代があったのかです。石井さんが最初に蜷川さんの芝居をみ

たのは、蜷川さんのところから「現代人劇場」の「真情あふるる軽薄さ」の招待状

渥美清さんのところにきて、このチケットをまわしてもらっていった時とのこと

です。

 当方は田舎の浪人生でありまして、清水邦夫さんと蜷川さんの世界は、はるか

に遠かったことです。それにしても同時代で、あの世界に魅せられて人生が狂っ

た人もたくさんいただろうなと思うことです。

 当方は、本屋歩きが一番の趣味でありましたので、音楽ライブもアングラ芝居

も見ることがなしでした。たった一度だけ大学のどうして知り合ったのはわから

ない他学部生に誘われて、学内でやっていた演劇サークルの公演を見たことが

ありました。

 たぶん、この芝居が清水、蜷川のものではなかったろうか。ヒロインを演じたの

はオリジナルは真山知子さんでありましたが、それを女子学生が演じるのが奇妙

にもエロチックであったことだけ覚えています。まったく何をみていたのだか。

いまから45年は昔の話となります。