今福将雄さん追悼 3

 1962年というのは、テレビがすっかり娯楽の中心になっていましたが、まだまだ番
組をつくるのはたいへんでしたし、ドラマであれば役者さんを確保するのが大変で
あったはずです。NHKは、あちこちの地方局でもラジオなどで番組を制作していま
したので、地方に放送劇団というのをもっていたのですね。
 有名なところでは、声優の若山弦蔵さんはNHK札幌放送劇団が業界デビューと
なっています。今福将雄さんはNHK福岡放送劇団が、この世界でのデビューとなるとの
ことです。
 どのようなアンテナをはったら、北海道にある地方局制作ドラマのキャスティング
にかかってくるのか、ほんとうに不思議であります。それまで、今福さんと北海道に
関わりがあったのでしょうか。
 ずっと後年になって、今福さんが貴重なバイプレーヤーとして映画等にキャストさ
れるのとは、その存在感が違いましたですからね。
なんといっても、低予算であったと思われるドラマですから、相当に知恵をしぼって
キャスティングしたのは間違いのないところでしょう。
 山川方夫さんの脚本には、主な登場人物としてでているのは、数人に過ぎません。
 楊 高密 (やん かおみい) 渥美清
 野沢先生  今福将雄
 ミノル   平山清 (?)
 マサヒコ  子 役
 ミノルの父
 ミノルの母
 上田    ( 開拓農協組合長  マサヒコの父)
 その他  ( 地元のエキストラ )
  東京から来た当方と同年の子役さんは、児童劇団に所属していた方と思います。
地元のこどもたちと一緒の写真がのこっているのですが、名前はまったく記憶して
おりません。
 役名がある大人たちも野沢先生役の今福さんの他は、どなたが演じていたものか
わかっておりません。それこそ地元劇団の方であったのでしょうか。このあたりに
ついては、亡父にきいておいたら、もっとわかったのかもしれません。
 今福さんの出演シーンは学校内に限られていて、ほとんど一日くらいで撮影を
終了されて戻ったのではないかと思われますが、これもたしかなことはわかりま
せん。当方の亡父がロケで使われた学校の教師をしていたこともあり、その学校
での日々について、話をする機会があったようです。
 とにかく、複式(二学年が一緒の担任)とか複々式(三学年が一緒の担任)と
いうような小さな学校での撮影です。

 今から50年ほど前には、日本のいたるところに、このような学校が存在してい
ました。この写真の学校は統廃合にあわず、大きくもならずにいまも残っていま
す。もちろん、学校はすっかりたてかわり、今訪れてもこのような戦後の日本の
雰囲気を味わうことはできませんです。
 このような学校には、どのような先生が似合いますでしょう。ということで、
今福将雄さんが演じる野沢先生です。
作中の学校は、一つの教室に全校生徒がいるという設定になっています。時代の
設定は1957(昭和32)年であります。
 教室における野沢先生の雰囲気は、次の写真のようになります。

 野沢先生のせりふです。
「 困っちまったねえ。・・・いいか、シズエ、4タス3がわかってんのに、
3タス4がどうしてわかんねえだ?もう少し考えてみな、よーく、・・・
ノボル、こら、ひとの見んでねえ。」
 シズエは一年生の女の子、高学年まで一箇所で授業を受けているわけですか
ら、上級生は先生の目を盗んでというシーンになります。
 上の写真の男性が今福将雄さん、当時41歳(この時、すでに老け役という
感じです。)でありました。衣装のカーディガンは、当方の亡父が日常に着て
いたものの調達であります。
 ちなみに、この写真の女の子がシズエ役でありました。男の子はノボル役で
しょうか。当時小学校一年生であった当方の弟でありまして、弟は、つい数年前
に、山川方夫全集で、この作品を読んで自分に役名がついていることを知ったと
いっていました。   
 このあと、今福さんと交流があったとかいう話ではなく、たぶんこれっきりで
あったのですが、家族にとって今福さんが忘れられない役者さんとなったという
ことはおわかりいただけると思います。
 その後、今福さんが役者さんとして知名度があがっていったことを、家族で
喜んでおりました。