片付けをしていたら

 本日も本の片付けをしておりました。最高気温は23度、湿度は一日を通して100%に
近く、すこし蒸し暑い(?)ことでした。
 なんといってもずいぶん久しぶりに本をひっくり返していることから、何年ぶりか
で手にするものもありです。そのような一冊に山口昌男さんがNHK人間大学の放送テキ
ストである「知の自由人たち」がありました。
 このテキストの冊子には「近代日本・市井のアカデミー発掘」とあります。ひょっと
してと思って、目次を確認しましたら、なんとここに「空飛ぶ『一畳敷』」とあるでは
ないですか。
 話は一昨日のことになります。今年は蝦夷地が北海道と名付けられて150年となるの
だそうです。この名付け親は、幕末の探検家 松浦武四郎でありまして、それを記念し
ての展覧会が北海道立博物館で開催され、それを見物にいってきたのです。
 蝦夷地から樺太へと足跡を残していますので、それを追うと同時に、アイヌの人々へ
注がれた視点が紹介されていました。これが、今回の展示に関してPRされていたものと
なるのですが、入り口をはいってすぐにおかれた「一畳敷」という復元模型と、最後の
ほうにおかれた玩物とか書簡が、探検家ではない松浦武四郎の姿を伝え、むしろ、その
点に関心がむきました。
 書簡には、出身の三重は津市の川喜田家にあてられたものもあったのですが、川喜田
といえば、半泥子のところではないですか。
 本日の放送テキスト「知の自由人たち」の松浦武四郎の書き出しには、次のようにあ
りましたです。
「あまり馴染みのない名前ばかりが並んでいる本シリーズのなかで、今回取り上げる
松浦武四郎は割合によく知られている人物と言えるのではなかろうか。蝦夷地探検家と
して、また『北海道』の名付け親としてである。
 しかし実は武四郎は、樺太から九州までほとんど全国くまなく旅した大旅行家であり、
数多くの山に分け入った登山の先駆者であり、二四〇以上の著作を残した精力的な著述
家であり、各地の文物のあくなき採集家であり、優れた画人であり、要するに、日本で
最初といってよいくらいの全国規模での民族誌学者であった。そうした武四郎の全体像
はあまり知られていないが、その武四郎が晩年は東京神田に隠棲し、古物蒐集にいそし
む好事家として趣味人の間に広いネットワークを築いていたという事実は、もっと知ら
れていないようである。今回は、好事家としての武四郎の集大成ともいうべき『一畳敷』
とその不思議なる運命について述べようと思う。」
 さすが、山口昌男さんでありますというか、手もとにあったというのに、まったく頭
に残っていない、当方のぼんくらさ加減であります。
 これを記している時間には確認することができていないのですが、この「知の自由人
たち」というのは、「内田魯庵山脈」につながるものですから、こちらにも武四郎は
登場するのかな。
 それにしても、松浦武四郎さんが、このような人であったとは、まったく知らなかっ
たこと。

内田魯庵山脈―「失われた日本人」発掘

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