知の自由人たち

 先日に見物にいった北海道博物館の特別展「幕末維新を生きた旅の巨人 松浦武四郎
 —見る、集める、伝える—」)に関連してです。
 こちらの博物館のページには、次のように紹介されていました。
「〈北海道の名付け親〉と呼ばれる松浦武四郎(1818-1888)。伊勢国(現三重県
松阪市)で生まれ、幕末期にロシアとの国境問題で揺れた北海道を6回踏査し、アイヌ
民族の生活状況などを克明に記録したことはよく知られています。 彼はまた、幕末の
志士や政治家、学者、文人との幅広い交流の中で〈情報通〉や〈蒐集家〉としても有名
だったことなど、これまであまり知られていない顔も持っています。 強い好奇心と情
熱のもと、旅に生き、幕末維新という激動の時代の諸相を集めて、伝えようとした、
その希代の生涯をたどります。」
 ここにも「幅広い交流の中で『情報通』、『蒐集家』としても有名」とあるのです
が、ちらしを見た時には、このくだりは、ほとんど頭に残っておりませんでした。
展示を見て、この人はとんでもない人的ネットワークを持っていたのだと思いました。
そういう時に、山口昌男さんによるNHK人間大学テキストを眼にしたのです。
 このテキストでは、松浦武四郎のことが、17ページという短いなかに、ずいぶんと
ていねいに書かれていて、山口昌男さんにとって松浦武四郎というのは、相当に気にな
る存在であると思われました。
 この「知の自由人たち」は、山口さんの「内田魯庵山脈」へとつながっていくのです
から、この魯庵山脈でも、かなり大きくページがさかれているはずと、本日はこの本を
取り出してきました。
 魯庵山脈の目次を見てみますと、テキストでは一章をさかれていた松浦武四郎の名前
が消えて、ある章の小見出しに、その名前がありました。
 「内田魯庵山脈」で、松浦武四郎がメインででてくるのは「精神の系譜を捏造する」
というところで、その章でクローズアップされるのは、フレデリック・スタールという
明治の学者さんでした。
 テキスト版「知の自由人たち」の「松浦武四郎」さんの章では「あまり馴染みのない
名前ばかりが並んでいる本シリーズのなかで、松浦武四郎は割合によく知られて人物と
言えるのではないか」とありますので、単行本「内田魯庵山脈」となったときに、より
知られていないフレデリック・スタールさんを通じて松浦武四郎のことを描きだそうと
描き方を変えたことがわかります。
「このスタールこそ、1904年(明治37年)の初来日以来大の親日家となり、幕末の北方
探検家松浦武四郎について論文を書いた日本を含め世界中で最初の人だったのである。」
 同時代においても、松浦武四郎は有名であったのですが、論文で最初に取り上げたの
が外国の人であったとは、知らなかったことで。 
 ほんと見てから読むか、読んでから見るかでありますね。

内田魯庵山脈―「失われた日本人」発掘

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