病棟のディルーム

 先週末に病院で入院中の、ご近所の老婦人のお見舞いへといきました。

移転改築されてから十年ほどたった新しい建物で、病室は明るく広いので

ありますが、当方は病室には入らず、同行の家人がベッドサイドで近況を確

認することとなりです。

 当方は病棟にあるディルームで持参の本でも開きましょうかと思っており

ましたら、ディルームには備え付けのテレビとか自販機のほか、ちょっと古い

単行本なども置かれていました。せっかくでありますので、何か面白そうな

ものはないかと思って背表紙をチェックしましたら、すぐに田村義也さん装

丁による本が目に入ってきました。

 面会している間に読むのは、これにしようということで、小さな本棚から

小説本を抜き出しました。

家族のいる風景 (福武文庫)

家族のいる風景 (福武文庫)

 

  アマゾンのリンクでは文庫本になっていますが、当方が手にしたのは、この

元版となりです。昭和60年12月の作品集ですから、八木さんは74歳となって

います。

 表題作の「家族のいる風景」を読んだのですが、これは自分の家内の亡姉

の七回忌のために、千葉県柏市まで言って、そこで家内の家族十三人で法要、

墓参をしてから会食した時の様子が綴られています。

 ひとしきりお互いの近況などを確認したあとに、この場にいない自分の95歳

の母の様子を尋ねられることとなります。

「私の母は、現在私の住む街の西北郊にある特別養護老人ホーム『福音の家』

というところで世話になっている。」

と、ここからは妻の家族の話から、自分の母のことに転じていきます。この施設に

入所することになった事情が語られるのですが、次のようになります。

「私の母はトイレから戻ってくる途中、あやまって床にころんで右脚の股関節を

骨折したという。驚いて駆けつけた私たちはケアセンターに常備された担送車

に同乗して、そこから隣の丘陵を一つ越えたところにある専門の整形外科病院

に、母を入院させた。」

 なんとまあ、これは当方が見舞いにきた老婦人と、まるで似た話ではありません

か。こちらのほうは一人暮らしで、自宅で倒れているとこを見つけ、救急車の依頼

をしたのでありますが。こちらの老婦人のほうが作中の「母」よりもずっと若いので

ありますが。

「入院して一週間ほどしたところで、私は医務室に呼ばれ、担当の医師から、手術

をすることにしましょうと言われた。折れた骨を取り除いて、代わりに人工の骨を

埋めるのだという。

『なにぶん九十歳をすぎた年寄りですから』

私が危ぶんだ声を出すと、なに、年には関係ありませんよ、と体つきのがっしりした

四十代の医師に軽く一蹴された。」

 一人暮らしの老婦人の医師との話し合いには、当方が同席することになったの

でありますが、こちらはご本人が手術をしないといって、説得に応じないのであり

ますが、95歳の作中の母上のように「建物の広い廊下を車椅子でわがもの顔に

乗りまわしている。」という具合にいくのでありましょうか。