編集工房ノアからでている「天野忠随筆選」の「さびしがる」というエッセイで話
題となっている小林勇さんの「人はさびしき」を引っ張り出してきました。
最近はほとんど話題になることもないお思われる小林勇さんであります。当方の世
代でありましたら、小林勇さんの名前を目にしますと、岩波書店の書生さんから編集
者になり岩波の女婿となった方でした。初期岩波の編集の中心的な存在です。
文章を良くし、書画もたしなむ文人という雰囲気の方ですが、編集者として多くの
学者や芸術家に可愛がられました。
当方が持っている「人はさびしき」は筑摩叢書にはいっているものでありまして、
これは1987年11月に刊行となったものです。
- 作者: 小林勇
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1987/11
- メディア: 単行本
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しき」にまとめられた人物回想は、すべて収録です。
「人はさびしき」には、長谷川如是閑、安倍能成、斎藤茂吉、野呂栄太郎、内山完造
などが取り上げられているのですが、この方々のどこがどのように「さびしき」である
かであります。これは読んでみなくてはわかりません。
それでいきますと、ほとんど無名の二人のエスペランチストとか三木清は、その名前
を目にしただけで「さびしき」が伝わってきます。
この筑摩叢書版は、「遠いあし音」の冒頭に「孤独のひと 三木清の一周忌に」という
文章がおかれ、後半部の「人はさびしき」に再度「三木清」という文章があるのですか
ら、小林勇さんにとって「さびしき人」といえば、「三木清」ということになるので
しょう。
最近のTVで三木清の著作を取り上げていましたが、三木は京都哲学の西田幾多郎の
後継者と見なされていましたが、京都帝大に残ることができず東京にでて法政大に
職を得ることになり、その時から岩波書店の編集に関わることになります。
小林さんの文章には次のようにありです。
「昭和二年の春の或る日、岩波茂雄が、私に西田幾多郎の手紙を見せた。それには、
三木がこんど法政大学へ行くことになったが、給料だけでは多分生活が苦しいだろうと
思うから、何分援助を頼む、という意味のものであった。岩波は私に三木に会いにゆけ
といい、店の仕事を手伝って貰うとよい、といった。私は前の年から編集の仕事をして
いた。」
ということで、小林と三木の交流は始まるのですが、三木が岩波に残したもので一番
有名なのは、岩波文庫の発刊の辞であります。
「(円本に乗り遅れた観のあった)岩波が考え出したのが『岩波文庫』である。この
計画はたしか二月頃にはじまったように思う。そういう時に三木清が現れたのだ。文庫
は七月十日に三十二冊まとめて発売された。編集の仕事をしたのは岩波と私であった。
私はもっぱら三木を頼りにして仕事をした。
発刊の辞は三木が草案を作り、岩波が手を入れた。『心理は万人によって求められる
ことを自ら欲し』というはじめの文句は三木の書いたものだ。」
ここに引用したところだけをみますと、三木清がどうして「さびしき人」であるかと
思うのですが、ほんとうに生きるのがへたな人でありまして、しかも家庭的にも不幸で
あったのでありますからね。