人はさびしきか

 本日は夜になりまして天野忠さんのエッセイ集を手にしておりました。
 編集工房ノアからでています「天野忠随筆選」であります。このなかに「さびしが
る」という文章がありました。

天野忠随筆選 (ノアコレクション (8))

天野忠随筆選 (ノアコレクション (8))

 書かれたのは1973年のことですから、天野さん64歳の時の文章です。当方の現在よ
りも何歳か若いのでありますね。最近の64歳というのは、天野さんの時代とくらべる
とずいぶんと気分が若いように思いますが、さてどうでしょう。
 この文章の書き出しは、次のようになります。
小林勇さんの『人はさびしき』という本(エッセー集)の書評が新聞に出てから二、
三日して、近所の大きな本屋に行った。新刊棚をいくら丁寧に見ても見当らず、意を
決して古参らしい店員にたずねると、あれはもう売り切れましたと言う。ついでのこ
とに散歩がてらもう二軒たずねてみたが、どの店も売り切れだという返事がかえって
きた。」
 これに続いて天野さんは、「人はさびしき」というタイトルは「いかにもセンチ
メンタルで、本の題名には何となく気恥ずかしいものがつきまとうているような気が
する。著者の好みではなく、出版社の意向かどうか、いらざる推量をする」とありで
す。
人はさびしき (1973年)

人はさびしき (1973年)

 後年になって当方も小林勇さんの本を読むようになりましたが、73年頃に小林さん
の本を新刊で購入するなんてことはなしでした。この天野さんの文章を目にして、
新聞の書評にでたせいもあって、この本があちこちの店で売り切れになったことがわ
かるのですが、あの時代は大新聞の書評に取り上げられたら、売り上げが確実にアッ
プするといわれたことを思いだしました。
「本を読む階層にも、さびしい人がたくさんでてきたということになるのであろうか。
それとも本の好きな人には、さびしがりやが多いということでもあろうか。・・
世間に名も無く、自分も書かず、他人も書いてくれず、何一つ自分というものを現さ
ずじまいで、この世を終わる『さびしい人』が大抵なのである。」
 この時代においても、「さびしい人」は多いのでありましょうか。