北海道つながり 3

 「フリースタイル」30号掲載の小西康陽さんインタビューで、小西さんから「転職
ばかりしている人っていうふうに見える」といわれている仁木町出身の和田博巳さん
についてであります。
 当方よりも学年は二つ上ですが、予備校に通うためにいった東京で、ジャズ喫茶の
アルバイトとなり、そこで腕をみがいて高円寺にジャズ喫茶を開いたのが、21歳の時
というのですから、ただものではありませんですね。
 このあと、高円寺のジャズ喫茶をロック喫茶へとかえたことでミュージシャンとか
ミュージック・マガジン」の編集者、レコード会社のスタッフなどが集まるように
なり、そんなこんなで誘われて、自分もミュージシャンとなってレコーディングに参
加するようになり、それが縁で「はちみつぱい」というバンドのメンバーとなって、
こちらが忙しくなったので、店を知人にかってもらい、バンドに専念、これが解散と
なったのを機に、札幌に移って珈琲店を開いたのが1975年というのですから、この
時26歳ですね。
 この店は繁盛店となって手応えを感じていたというのに、7年やってそれなりの達
成感があったのと、音楽をまたやりたいと思って、再度上京することになりです。
上京後は、音楽ライター皮切りに、松岡直也のマネージャー、細野晴臣のマネー
ジャーをしてから、あがた森魚の制作スタッフとして関わることになるとありまし
た。ここで、またまた北海道人(あがた森魚さん)がクローズアップです。
 もともと「はちみつぱい」は、あがた森魚さんのバックバンドとしてスタートした
ものでありますから、和田さんは、ふりだしに立場をかえて戻ったようなことになり
です。この時に、一夜かぎり「はちみつぱい」の復活コンサートがあり、あがたさん
が、「はちみつぱい」をバックに、「赤色エレジー」を歌っていて、バックで和田さ
んがベースを弾いています。

 このあとは、和田さんは音楽事務所をやるのですが、時代の音楽とあわなくなって
きたのをたたみ、札幌に戻ってジャズバーを開業して、楽しくやっていたら、オー
ディオ雑誌からの原稿依頼がコンスタントにくるようになり、この店を常連に譲って
上京し、今はオーディオ評論家としてやっているのだそうです。
 当方は、最近のオーディオ評論にはまるで関心がないので、このような方がいると
いうのは承知していませんでしたが、あちこちでひっぱりだこなようで、その様子は
You-Tubeにもあがっていました。
 それにしても、ずいぶんといろいろなことをしているのですが、あまりうまくいか
なかったというのは、音楽制作事務所だけで、あとはマネージャーとしても能力が
あったようですし、店の経営者としても繁昌店をいくつもてがけているということ
がわかりました。
 当方の知人の知人の知人くらいをたどっていきますと、和田さんのところにあたる
と思われますが、その知人の知人がいまだに見つかっておりませんです。