本日の本 2

 昨日に引き続いて、林達夫さんの「思想の運命」に収録の「私の家」から、その後半
部分の引用であります。
「古い立派な田舎家がどしどし取壊され、ときには薪にして二束三文に売りとばされて
さえいる世の中である。養殖林のへなへなしたすぐに腐る木材と違って、その欅、松、
栗材はいずれも年ふりた寿木で、実に慎重に『切り時』を考えて切られ、永い念入りな
乾燥に努められているから、それは二百年や三百年は優に持久するのが普通である。
今日、四五十坪の古農家ならばうまくゆけば二三百円でそっくりねこそぎ買える。」
 この文章が発表されたのは1938年「婦人公論」5月号であります。その当時に、古い
立派な田舎家が取壊されるのを惜しいと思った人はどのくらいいたでしょう。
日本の民芸運動と通じることでありますが、林達夫さんは英国流であったのかもしれま
せん。
「私はそういう古い農家の一つを手に入れて、その元のままの構成と古い巨材の『味』
を利用して、これを古い英国風に改築することを最近試みた。これには既に多少の先例
がなくはないが、私はそんな場合ほとんどみんあが陥っている『興味本位』と『装飾
過剰』とを極力排して、簡素と平凡とを旨とした。こういう改装がどこまで可能である
かーそれは日本農家と古英国風田舎家との間には、人が想像する以上に多くの共通的
性質があることや、また今日は世界的な文化混淆時代で、ケンブリッジの片田舎の
ウィインにニッポンの行灯風の灯が見られるのも普通であることなどからも、大概想像
がつくであろう。」
 林達夫さんの文章では、庭作りの話とか、鶏を飼う話などがわかりやすくてよろしで
あります。こうした文章だけをあつめた本があってもよろしいのにと思います。
林達夫著作集で「私の庭」が収録されている巻の解説は「花田清輝」さんでありますが、
この解説の冒頭部分で、花田清輝さんは、次のように書いています。
第二次世界大戦中、わたしは林達夫の『私の家』や『作庭記』といったような文章か
ら強い感銘をうけた。しかるにそれ以来、すでに三十年もたったのに、いまだわたしは、
戦後焼け跡に大急ぎで建てられた粗製濫造の家の一つに住んでいる。・・・・・
 わたしは、林達夫のそれらの文章から、『近代の超克』に関するわたしなりの変革の
理論をつくるキッカケをあたえられたにもかかわらず、家を建てたり、庭をつくったり
する彼の実践にたいしてはほとんどなんらの興味をも示さなかったのである。しかし、
実践の裏づけのないわたしの理論には、どこか説得力が不足しているらしかった。
そこで、わたしは、林達夫のように、家を建てたり、庭をつくったり、鶏を飼ったりす
る代わりに、小説や戯曲をかいてみたが、誰もそんなわたしの試みをわたしの実践だと
は思ってくれなかった。」
 このあとに、花田さんは「近代以前を否定的媒介にして、近代的なものをこえる」わ
かりやすい例として林達夫さんの「私の家」をあげるわけですが、花田さんは、この林
さんの家を見たことはないと記しています。