本日の本 3

 林達夫さんの「私の家」についてであります。林達夫著作集付録「研究ノート」には、
戦前に撮影した林達夫邸の遠景写真が掲載されています。この「研究ノート」では、
芥川比呂志さんと飯沢匡さんのお二人が林邸について記しています。
 まずは芥川比呂志さんの文章から引用です。
鵠沼西海岸から藤沢行の電車にのると、次の駅が本鵠沼です。降りて、線路を渡って、
芋畑の見える道をしばらく行くと、松林が見えてくる。黒ずんだ木組の、白壁の西洋館
が見えてきます。古い日本の農家を、よそから引いてきて、改造なさったのだそうです
が、いかにも堅固な、すっきりとしたみごとな建物です。」
 芥川さんは、戦時中に鵠沼西海岸にある母の実家に疎開し、そのまま戦後しばらくも
お住まいになっていたことで、ご近所にお住まいの林さんのところへたびたび伺ったと
あります。この芥川さんの道案内にしたがってストリートビューすれば、西洋館は見え
てくるでしょうか。「研究ノート」に掲載の遠景写真には、ずっとなにも写り込むもの
がなく、たった一軒ぽつんと建っているのですが、さすがにいまはまわりに家がたって
いるのでしょう。
 どうしてこのような写真が残っているのだろうかと思って、飯沢匡さんの文章を見て
みましたら、このなかに「私は、婦人雑誌のグラビアページで林先生の御新居なるもの
を見たのである。昭和初頭のことである。」
 この婦人雑誌というのは、林達夫さんが文章をよせている「婦人公論」のことであり
ましょうか。飯沢さんは昭和初頭と記していますが、1938(昭和13)年5月号となりま
す。いまだにこの「婦人公論」を見るにはいたっていないのですが、飯沢さんによりま
すと、次のようになります。
「私が婦人雑誌で見た林先生の御新居は日本の農家を移築して、これを英国風に仕立て
直したものであると説明してあったのである。何という洒落たことをする先生だろうと
思ったのだ。小さな写真であるが、一応デテイルを点検すると、ちゃんと隅々まで英国
式で、私はすっかり感心してしまった。多くの日本の英国風というやつは、どこまでも
風であって、本格とは、ずいぶんかけ離れたものだったのだ。殊にデテイルに至ると
馬脚を露していた。」
 林達夫さんの細部へのこだわりであります。