みみずく先生 11

林達夫研究ノートには若手研究者の寄稿があって、由良さんはそれに声がかからなかった
ことがお気にめさなかったかと昨日に記しましたが、由良さんよりも年少の寄稿者という
山口昌男五木寛之大江健三郎の三人でのみで、このなかに食い込むのは、70年頃
の由良さんでは厳しかったかと思います。
 ということになると編集方針に対する苦言は、文字通り「精神史」という論文の扱いに
対するものでしょう。70年頃、林達夫さんは文章をほとんど発表していなくて、当方の
世代が知ったのは著作集が刊行されたことによります。(購入可能な著作は、筑摩叢書の
「歴史の暮方」しかなかったのではないかな。)
 この著作集は、原弘さんによる上品な装丁もあって、これの広告を新聞で見て、すぐに
購入にいったものです。著作集一冊目のタイトルは「政治のフォークロア」であり、どち
らかというとレトリックを駆使した戦時下文章への関心からでありました。
 当時の広告は、「精神史」よりも「政治のフォークロア」に重きがおかれていましたの
で、由良さんのような違和感はいだきませんでした。
 林達夫さんのアンソロジーは、その後に、山口昌男さんなどの編集で刊行されています
が、由良さんのお気にめすものはあったでしょうか。
平凡社ライブラリー版の「林達夫セレクション3」は「精神史」となっていて、これの
解説担当は、四方田犬彦さんでありました。由良さんは、このアンソロジーをみること
なしで亡くなったのですが、これを手にしたら、どういったでしょうね。)
 由良さんが気に入らないものといえば、一番は四方田さんが「先生とわたし」で記して
います次の話でありましょう。
由良君美がもっとも長期にわたって不倶戴天の敵と見なし、その存在に対する嫌悪を
隠そうとしなかったのは、同じ英文学を専門とする都立大学篠田一士だった。篠田につ
いて由良君美が最初に言及したのはきわめて早く、まだ慶応義塾助教授だった1964年
篠田の『現代イギリス文学』の書評である。
 どうやらこの時期から由良君美は、自分とほぼ同年齢でありながらいち早く著書を江湖
に問い、華々しく活躍している篠田を、目の上の瘤のように眺めていたらしい。」
「眺めていたらしい」という書き方になっているのが、ちょっと残念で、ここは四方田さ
んに『常日頃からそれを聞かされていた』と記してもらいたいところであります。
 当方は、由良さんの文章を読む前に篠田さんの著作に親しんでいて、篠田さんの導きに
よって小説を読んでいたわけですが、最初、由良さんの著作を手にした時は、由良さんが
篠田さんのことを敵視しているとは思ってもみませんでした。