みみずく先生 12

 みみずく先生が、篠田一士さんに強烈なライバル意識をもっていたとは驚きであり
ました。篠田さんの最初の著作は、小野二郎さんによって送り出された「邯鄲にて」
でありまして、「現代イギリス文学」はそれについでだされたものだったはずです。
「現代イギリス文学」は、その後に増補されて小沢書店から刊行されたのですが、
いかにも篠田さんらしい読書案内で、当方はなかばぞっき本となっていた垂水書房
版を、古本屋で購入して楽しんでおりました。
「邯鄲にて」とか「現代イギリス文学」を手にした由良さんは、どんな感じを受け
たのでありましょう。昨日に引用したところには、64年に由良さんは「現代イギリス
文学」についての書評を発表しているとありましたが、これまでのところ、当方は
この文章は目にしておりません。この時には、どのような評をしたのでしょう。
 やはり敵意をあらわにしたのかな。
 この時代の由良さんについて、四方田さんの「先生とわたし」では、次のように
期しています。
「スタイナーに巡りあった1960年代前半のこの時期は、由良君美にとって、直接の
専門であるイギリス・ロマン派の詩のみならず、広く英語圏の批評一般への言及が
増えた時期でもあった。50年代後半に地道に続けてきた探求が一気に花開いたという
べきか。・・律儀に英文学関係の書評をこなし、合評会に参加している。著作リスト
から窺えるのは、いかにも英文学研究の未来に期待を抱いている30歳代前半の新進
学者である。1963年、彼は慶應義塾大学経済学部の助教授のポストに就く。
翌64年に神戸の甲南女学院で開催された日本英文学会の大会では、高橋康也、青柳
晃一という、世代をともにする東大助教授たちとパネルを組み、イギリス・ロマン
主義についての討議に参加した。まさに意気揚々の時代である。そしてこのシンポ
ジュウムが契機となって、彼は高橋康也に誘われるままに、東京大学教養学部英語
科から助教授として招かれる。」
 東大に招かれたのは、高橋康也さんのおかげでありましたか。