訃報 山口昌男さん 3

 これまで拙ブログでは、ずいぶんと山口昌男さんのことを話題にしています。
当方のある部分は山口昌男さんの圧倒的な影響下にあったといえるでしょう。当方に
とって幸せなことは、山口昌男さんが一番パワーを持っていた頃に、その著作を手に
することができたことです。わかるとかわからないは問題外で、ここには当方のまわ
りにいる理屈っぽい学生たちにのみ込まれないためのヒントがあると思ったわけです。
どこかで引用していますが、林達夫さんの著作を人生を生き抜くための兵法書といった
庄司薫さんと同じ感覚であります。
 ほとんど山口昌男さんの謦咳に接することはなかったのでありますが、姪が講筵に
連なったせいもあり、それを通じて、また大学の公開講座に足を運んだことで、こち
らも同門であるような気分になっておりました。(それにしてもあの時代の札幌大学
は、当方には刺激的でありました。)
 最後にお見かけしたのは、昨日に引用した「異色なのは『踊る大地球』(晶文社 
1999年刊)と題するドローイング集があった」に関連してのことでありました。
このドローイングを展示するイベントが全国を巡回しました。そのときのことは、
以下のところに記しました。
http://d.hatena.ne.jp/vzf12576/20070918
 このときに描いてもらった似顔絵は、すこし男前にすぎるようでありまして、
ちっとも似ていないと思うのですが、当方にとっては尊敬する山口昌男さんにいた
だいた貴重なものとなっています。

 山口昌男さんが書かれた「私の死亡記事」から引用です。
「栄誉の関係は、東外大A・A研所長を三年の任期で任命されながら二年で辞任した
ために国内では何もなし。但し、フランス政府から『芸術文学勲章』、『パルム・
アカデミック章』を与えられている。また朝日新聞社の『第二十三回大佛次郎賞
を受賞している。」
 この栄誉に関して大塚信一さんは、「本稿執筆後の札幌大学学長就任等については
当然触れられていないが、本質的にかわるところはないと思う。」と記しています。
 この時点では、文化功労者にはなっていないのですから「本質的にかわるところは
ない」でよろしです。
 山口昌男さんが文化功労者かよと、当方は強く違和感をもったのですが、札幌大学
を追われるように東京に戻ってから、病に倒れた山口さんを励まそうという人々の
後押しが、これにつながったものでしょうし、それを奥様が一番喜ばれたであろう
ことは想像に難くありません。
 山口昌男さんのご冥福を祈ります。