中村とうようさん追悼 4

 このブログを記するにあたっての引っ張り出してきているのは、とうようさんによる
初期の著作であります。先日に「フォークソングをあなたに」の表紙を掲げましたが、
それとともに、横に置いているのは、次のものです。

 この本については、「本の雑誌」2011年11月号の「坪内祐三の読書日記」で、次の
ように取り上げています。
「8月13日(土)朝、きのうの古本祭りで買った中村とうよう『フォークからロックへ』
を読む。一九五五年から七一年に至る十二章立てのアメリカポピュラー音楽史の章の
始めと終わりに中村とうようライフヒストリーが語られる。(例えば一九五七年の章の
書き出しは『一九五六年春、大学を卒業し、東京で銀行に就職した」、そして六二年の章
のそれは、「音楽評論を職業にしようと、本気で意欲をもやし始めたのは一九六一年の春
ごろのことだったと思う。」といった感じ)のが貴重。」
 この本に収録されている評論よりも、こちらのヒストリーのほうが当方にはアピールを
したかもしれません。すこし早いめにこの本のことを掲載するのは、これからの引用を
考えているからであります。ちなみに中村とうようさんは、1932年生まれでありますの
で、当方よりも18歳ほど年長であります。
 これのライフヒストリーからであります。
「大学時代は、自分で雑誌を出すよりも、印刷そのもののほう、つまりガリ版印刷の
アルバイトに精を出した。ポピュラー・ミュージックに積極的な興味をもつように
なったのも大学に入ってからで、その点ではオクテということになる。だが何でも夢中に
なるタチなので、せっせとガリ版のアルバイトをやってはレコードを買ったものだ。
 最初はヒット曲からはいって行って、ジャズ、シャンソン、ラテン、タンゴと一通り
何でも聞いた。ぼくが大学に行っていた町は京都なのだが、ここに中南米音楽研究会京都
支部というものがあることを知って入会してからは、ラテンが中心になった。」
 中村とうようさんも、ヒット曲からはいったというのがうれしいことです。それから
いろんなジャンルを聞いていて、そのなかで中南米音楽を聞き込んで、デビュー著作と
なる「ラテン音楽入門」(当方、これは未見です。)を刊行することになります。
 とうようさんのデビューは「ラテン」であったのですから、まずは「ラテンから
フォークへ」という過程があったわけですね。
 先に引用した「ラテンが中心になった。」のあとには、「ラテンといってもいろいろ
あるが、アルゼンチンあたりの民謡が一番好きだった。」と書いて、ユパンキに言及して
いるのですから、ラテンといっても、いまであれば「フォルクローレ」ということに
なり、それからアメリカのフォーク・ソングまでは、ほんのちょっとの距離であるよう
に思います。