中村とうようさん追悼 3

 中村とうようさんの、当方の世代への影響力の大きさはたいへんなものだと思うの
であります。
 とうようさんが創刊した「ミュージック・マガジン」では追悼特集を行っていて、
久しぶりに9月号、10月号の「ミュージック・マガジン」を購入しました。
 買っただけで安心してしまって、ほとんどなかを見ていなかったりするのですが、
ブログでとうようさんを話題にするにあたって、なかをちらちらとのぞいています。
昨日に広告写真を掲載した、日本コロンビアの「ボブ・ディラン」のアルバムへの
言及も、この特集にはありました。
 筆者は「ミュージック・マガジン」の編集長 高橋修さんです。
「60年代初頭からアメリカのフォーク、特にボブ・ディランに興味を持ち始め、雑誌
などで紹介するようになる。日本ではいろんなアーティストを集めたフォークの編集
盤(これも解説はとうようさん)にディランの曲が収録されたのが最初で、アルバム
が初めてでたのは65年。『ボブ・ディラン』というタイトルで日本コロンビアから
発売されたが、ジャケットは『時代は変る』で、1曲目が『ライク・ア・ローリング・
ストーン』、2曲目が『サブタレニアン・ホームシック・ブルース』という、すでに
エレキ化、ロック化してからの曲で始まる編集盤だった。(ライナーはとうようさん
によるもの)」
 昨日に、カレッジフォークシリーズに「ボブ・ディラン」かよと記してしまいまし
たが、その時代の日本では、ジャズ以外で、海外のアルバムがそのままの形で販売
されることは珍しかったように思います。ほんとに、でただけでも拍手喝采であり
まして、アルバムのトップに『ライク・ア・ローリング・ストーン』が置かれたの
は、その曲が、当時一番有名だったからですね。

 中村とうようさんに関心を持っておられる方で、この追悼特集を購入されていない
人はいないでしょうから、公式なものはそちらに任せ、こちらは、極私的な追悼に
徹することにいたしましょう。

ミュージック・マガジン 2011年 10月号

ミュージック・マガジン 2011年 10月号

 当方より前の世代には、いきなりジャズを聞き始めたなんて人がいましたが、それは
やはり占領文化の影響でありましょう。ジャズというジャンルは若い人にとっての流行
音楽であったと、当方よりも10歳ほど年長のジャズ愛好家に聞かされたことがありまし
た。
 当方の世代はポストロカビリーであります。小学校の低学年の時に、ウェスタン・
カーニバルが盛りあがったというニュースを見たことがありました。エルビスも62年
を最後に大きなヒットはでていなくて、ほとんど歌う映画スターのようになっていて、
プレスリーの新曲は主演映画のタイトルソングではなかったでしょうか。
 ちょっとインパクトにかけていたUSAヒットチャートがにぎやかになるのはイギリス
発の音楽がなだれこんでからです。急に、田舎の中学生もヒットチャートにはまった
わけですが、そこには、モータウンのようなブラックミュージック、カントリー系の
歌い手さん、そしてアメリカ本流の歌い手さんと、ずいぶんとバラエティに富んで
いました。
 中村とうようさんに導かれた当方は、まずは、フォークからロックへであります。
ディランのフォークには、ほとんどなじんでいなかったのでありますが、エレキ化の
ディランを熱烈に支持するんでありまして、ほとんどブッキシュな音楽ファンであり
ました。