小沢信男著作 117

 河出書房版「東京百景」の「私の赤マント」から脱線してしまい、戻ることができず
であります。野呂重雄さんは、小沢さんの作品の魅力について、いろいろと分析をして
いまして、これはとても参考になります。「自分を弱者と位置づけて、世間的に強者と
位置づけられている人に対する」ということですが、これが小沢さんのスタイルで
ありましょう。どちらにしても、自分は弱者であるという認識であいrますので、自分
より弱い人に対して威張ることなく、自分より強者であっても卑屈になることなしで
あります。卑屈にならず偉ぶらないというのが小沢さんの文章です。
 「赤マント」についてですが、「赤マント」のことを検索にかけても小沢さんの作品に
触発されたものは、すぐにはでてきません。
 作品のなかの重要なモチーフである「赤マント」に関する流言匪語をながしたカドに
よって警視庁に逮捕された銀行員というニュースに言及されているものです。
これは、主人公が新聞にでていたものを見て記憶に残っているとなるのですが、この
新聞がどうしても見あたらないのだそうです。結局のところ、この逮捕の記事自体が、
存在したのかどうかという都市伝説になりそうな展開です。
 どうして主人公は、存在しない記事を見たという刷り込みになってしまったのかで
あります。
「 そこだけスポットがあたったようにハッキリおぼえすぎているのが、われながら
奇妙ですが、記憶は再構成されるものだとしても、ずいぶん以前から長年、私の記憶
ファイルにこのように保存されているのです。・・・
 記憶ファイルに忠実になれば、赤マントの張本人逮捕の記事を読んだ時の、暗い感動
さえ思いだせるような気がします。軍国主義へ一億一心の時代に、一人一心でそっぽを
向いた者がいることの愕き、それも樺太の国境をこえた岡田嘉子とか、議会で反軍演説
をした斉藤隆夫とかの有名人ではなくて、そこらの銀行でソロバンはじいている男が
そうだということの、不思議な感銘。
 赤い思想の男が、ひそかに世におくりだした赤マント。恐ろしき吸血鬼。とはいえ
当時、日本の若者たちは、赤紙の招集令状一枚で戦場に狩り出されて血を流し、日中の
双方の民衆が膏血をしぼられていたのだから、国家権力こそはつねに最大の吸血鬼で
しょう。」
 このように書かれているのを見ますと、さいきんの福島原発でのことを思いだします。
原発の安全性に疑いの余地はないという翼賛体制のなかで、原発の危険性を主張する
のは、友達を失うような危険性をはらんでいました。いまも決して発言がしやすい
状況ではありませんが、この時代には流言匪語を発したことで逮捕されたりすることは
ないのでしょうね。(数年前にパソコンデータ共有ソフトを開発した人が、開発した
というだけで、犯罪に荷担したといって逮捕されました。これなど暗い時代の流言
匪語の取り締まりに近いものがあるのかもしれません。)