表紙の裏 4

 小沢信男さんのみすず表紙裏の連載「賛々語々」の二回目は、久保田万太郎さん
の句を枕にしたものであります。いずれ、この連載は何らかの形でまとまるものと
思うのでありますが、高浜虚子さんから久保田万太郎さんの句を枕にしてはじまる
というのは王道のようではありますが、もちろん小沢さんのことでありますので、
一筋縄ではいきません。
 この連載が始まって一年ほどして2011年3月11日となるのですが、これ以降は、
震災と原発事故のことが話題にのぼることが多くなって、今にいたっています。
 小沢信男さんといえば、近作には「東京骨灰紀行」があります。これは震災とか
戦災に見舞われた東京の地誌をたどるものですが、戦災では多くの方が亡くなって
いますし、東京は焦土となっているものの、3月11日とは決定的に違うことがある
と記しています。
「みすず 2013年1,2月号」に掲載の「賛々語々」32回は、「手鞠つく」が
タイトルとなっています。
 「焼跡に遺る三和土や手鞠つく 草田男」が発句であります。
「 句は戦後初のお正月、昭和21年新春の気分でありましょう。空襲のない空は、
雨がふろうが青空つづきの広大無辺。・・・ですからそこらにタイル張り三和土
でもあれば、絶好の毬つきに少女らがきゃっきゃと興じている。絶好の状景ですよ、
この場合は。みんな腹ぺこで、さだめしかぼそい手足にせよ。戸外での遊戯は控えよ
とか、甲状腺被爆のおそれがあるぞとか、そんな言語道断な事態には無縁なのでした。
 平成23年3月11日以降とは、そこがちがった。復興は、いいものだ。大津波の跡で
さえ、有無相通じて建て直しへまっしぐらの希望があるならば。しかし福島第一原発
に遠からぬ海辺の町村では、たいらな三和土があろうとも、毬つく少女の影もないの
でしょう。あれから二度目の正月を迎えても。」
 正月とはいっても、故郷を失ってしまったような人々はお祝いする気分にはなれ
ないでしょう。