新宿発月島行きか

 八月になにか忘れ物をしたような感じで過ごしておりましたが、本日につら

つらと考えて思い至りました。

 この八月は、今年三月に亡くなりました小沢信男さんの初盆でありまして、

それにあわせてみすず書房から遺著がでたのですが、これの入手に手間取って

おりまして、小沢さんの本の話題ができていないのでした。

 そんなわけで、本日は小沢さんの若書きの作品を読んでみましょうと1975年

晶文社からでた「東京の人に送る恋文」を取り出してきました。

 これはその当時にはすでに入手が難しかった「わが忘れなば」に収録されて

いたものと、その後の作品などをあわせて一冊としたもので、当方はこれと

その前にでた「若きマチウの悩み」(創樹社)が、特に印象に残っています。

 今から4年前に「ぼくの東京全集」がちくま文庫にはいって、小沢さんの東京

ものをあつめたアンソロジーとなったのですが、これに入らなかった良い作品

もたくさんあるのです。

 本日は、そんな話でもしようかと思いながら、小沢さんのデビュー作ともい

える「新東京感傷散歩」を読んでおりましたら、そこに「新宿発月島行都電」

という言葉がありまして、それにすこし反応です。

 当方はほとんど東京には縁のない生活でありましたので、東京といえば

修学旅行くらいでしか行ったことがないのですが、その時代にはすでに都電は

廃止に近い状況であったようで、おのぼりさんで東京を歩いたときに都電に

乗車した記憶がありません。(これは忘れているだけなのかもしれませんが。)

 その後にこの「新宿発月島行」はバス路線になるのですが、この長距離を

走る路線は、バス好きの人に好まれるものであったように思います。

(ずいぶんと昔の記憶です。)

 あれはなんという作品であったのかですが、井上ひさしさんの小説に、この

路線バスにのって時間を過ごす人が描かれていたように思います。

 小沢信男さんを偲んでとなりますと、長い区間の路線バスにのって東京を

めぐるというのもありだなと、新東京感傷散歩を読み返すことになりです。

「電車は半蔵門にさしかかり、大きく揺れて右に曲り、ここからは、かの

ポール・クローデル絶讃するところの宮城の濠にそうて下るのである。・・

 電車はガタンと揺れて三宅坂につき、そして渋谷から来るレールと一本に

なるこの二股の交叉点には、ブロンズ製の平和の群像が立っていた。」