小沢信男著作 105 東京百景

 本日から「東京百景」(河出書房 1989年6月15日刊)を話題にします。
 小沢信男さんの「東京百景」というタイトルは、もともと名古屋豆本の一冊としてでた
句集で使われました。まずは、こちらの「東京百景」(1985年8月15日刊)のほうを
紹介します。

 名古屋豆本は、亀山巌さんがやっておられたものですが、この方については小沢さん
は、「昨日少年録」(EDI刊)の一冊で取り上げておられます。これは、またあとで言及
することがありますでしょう。
 名古屋豆本にはさみこまれた「亀山巌」さんの付録にある文章から引用します。
小沢信男さんの句稿がとどいたとき、装幀は写真にしようと思った。雑学倶楽部六月例
会は梅雨のさかり、重いのが気にいらぬカメラをもてあましながらでかけた。
 めざしのは新宿区戸塚一丁目の駅名・早稲田から荒川線。今回は試乗のつもりで六つ目
の停留所向原で降り東池袋五丁目あたりまで歩いてみた。・・・
 そのうちに右折する道があって入っていくと、その先は段々になって降りていくらしい
が、どこへ出るのか不明。立ち止まった横手の家に、5-51-16という数字と呼び鈴が出て
いる家があって、小沢さんチと同じ番号だと思ったので写真をとった。それを猛犬風の
ペットをつれて散歩にでた近所の奥さんらしい人が立ち止りウサン臭げに見ていたのに
気づき慌てて引き返した。」
 小沢さんから句稿が届いて、それの装幀につかう写真をとるために東京まででかけ、
荒川線ぞいにぶらぶらとしながら歩いて、小沢さんの自宅のあるあたりにいって、そこ
から小沢宅によることなしに、同じ住所のお宅の写真をとって、引き返したとあります。
 普通でありましたら、次のいついつに、お近くにうかがいますので、そのときはよろ
しくとあいさつをして出かけるのが一般的でありますが、これではほとんどファンのよう
なものではないですか。(東池袋のお宅は、同じ番号のところが何軒かあって、わかり
にくかったですね。)
 この時に亀山さんが撮影した写真は、表紙に巣鴨とげぬき地蔵のものと、扉に向原停留
所での都電が二台写っているものが採用されています。
 亀山さんの文章の続きです。
「最後に小沢さんの文名については改めて紹介するまでもないが、版元の文友、木更津の
庄司肇が異色の文学誌『きゃらばん』を編集。それに東京百景が連載されていたのをみた
のがご縁。庄司さんを通じて無理をいったのが快諾を得、開版の運びとなった。」
 庄司肇さんというと木更津のお医者さんで、「きゃらばん」主宰、小沢さんの「あほう
どりの唄」(81年5月)の発行者であります。