昨日に続いて旋盤工・作家

 昨日に引き続きで、旋盤工・作家 小関智弘さんを話題にすることになりです。

とはいっても小関さんを知ったのは、小沢信男さん経由であることもありまして、

同時に小沢さんが書いた小関さんについての文章を見たりもしています。

 昨日は「本の立ち話」に掲載の文章でありましたが、本日は「東京百景」に収録

されている文章などをのぞいていました。(「東京百景」の「大森三代」という

文章は、小沢さんのちくま文庫「ぼくの東京全集」にも採録されています。)

 その前にですが、小沢さんは小関さんを旋盤工・作家としていることからも、

労働者文学推進の一人と位置付けているわけです。

「本の立ち話」には、「労働者文学の熟成」という文章がありまして、それは

清水克二さんという労働者作家の「私の東京案内」に寄せた文章ですが、次のよ

うにあるのですね。

「『私の東京案内』は、やはり戦後がもたらした文学の豊饒の一例ではないか。

町工場の旋盤工の一家三代を語った小関智弘『大森界隈職人往来』とか、親譲り

のペンキ職人の哀歓をつづる九鬼高治『北十間川夜話』『雨季茫茫』などをはじ

めとして、働く者の眼で大東京の諸相を描いた作品のかずかずが、なつかしくも

浮かんでまいります。・・いちいち名はあげないが、労働者の書き手がこんなに

も叢生した時代が、この国の文学史上に、かってあったろうか。」

 小沢さん自身は、労働者文学者ではなかったのですが、新日本文学会の事務局

や文学学校で、文学サークルを見てきた立場からの発言でありますね。

 ここで目にとまったのは九鬼高治さんのお名前であります。

つい先日に西村賢太さんの「雨滴は続く」を話題にしたときに、西村さんが参加

していた同人誌のことに言及し、その主宰者である九鬼高治さんにも触れており

ました。

vzf12576.hatenablog.com 小沢さんは、九鬼高治さんのことを尊敬をこめて紹介をしているのであります

が、西村賢太さんからすると九鬼さんの文学感に共感して同人に加わったわけで

はないのですね。

 次は、西村さんの「雨滴は続く」からの引用であります。

「尤も貫多は、先述の如くこの同人雑誌に入ったのは、何もこの主宰者の作に共

鳴を覚えての、と云う要素は一片もない。この人の作も正統派と云うか、いかに

も王道スタイルの私小説であり、そのうち幾つかは彼も読んでいて作中世界に没

入しながらページを繰った作もあるにはあった。けれど別段この人に、私小説

作法については何一つ尋ねてみようと云う気は起こらない。」

 まったくもう身も蓋もない言い方でありまして、これで世の中は通らないよと、

ほとんどの常識人は思ってしまうことです。 

 そういえば、西村さんは地道に働くということをしない人でありました。

労働者文学なんてという世代ではありますね。

本の立ち話

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