ウサギ年生まれの大豊作年は慶応3年(1867年)であるようです。慶応三年が
そういう特異な年であるということは知っておりましたが、卯年であるというのは
わかっておりませんでした。
だからどうなのかでありますが、辛卯(しんぼう かのとう)生まれの当方にとって
は、思わずにんまりとしてしまう話です。
昨日引用した坪内祐三さんの「慶応三年生まれ 七人の旋毛まがり」によりますと、
慶応三年生まれにきら星のごとく人材が輩出したということをアピールしていたのは、
みずからも同年生まれの宮武外骨さんであるそうです。「宮武外骨自叙伝」に、「『予
と同年生の人々を調べてみると、その一部を列挙すると左のごとくである』と語って、
尾崎紅葉からはじまる五十三人の人の名前を列挙している」のだそうです。
坪内さんがとりあげた七人の旋毛まがりのほかにも、画家の藤島武二、建築家 伊東
忠太、実業家 池田成彬、豊田佐吉、さらには軍人の鈴木貫太郎らがいるとのことです。
慶応3(1867)年生まれの夏目漱石と1927(昭和2)年生まれの小沢信男さんは、
ちょうど60歳違いですから、同じ丁卯(ひのと・う)ということになります。そうか、
小沢さんにとっては漱石は祖父の年代であるのかです。
小沢信男さんには、「人生ひっくり返せば江戸の人」というインタビュー記事があり
ます。読売新聞であったと思いますが、2004(平成16)年9月25日に掲載されたもので
す。ここで、小沢さんは、次のように語っています。
「生まれた年を起点にして、生きてきた年月を逆に向こう側に倒してみるんだ。遠ざかる
ばかりと思ってた明治や江戸が近づいて来るよ。僕は1927年生まれの77歳だから、
1850年の嘉永3年までさかのぼった。これから天保、できれば文政、文化までも、なん
てね。江戸の人とお近づきになったような気がするな。そのころ生きてた人が身近に
感じられて、若い人もやったらいい。あなたはどのくらい? まだ世紀の変わり目?
江戸は遠いね。」
この時から、6年ほどたっていますので、小沢さんはそろそろ天保にはいるころで
しょうか。
当方が江戸の人に出会うためには90歳をこえる必要があるようです。まだまだ大分先
のことです。
この年に生まれた年を起点に向こう側に倒しますと、当方は今年還暦でありますので、
ちょうど1891(明治24)年 辛卯(かのとう)になり、その年に生まれた人々とであい
ます。文学者であれば、久米正雄、倉田百三、直木三十五、米川正夫という面々であり
ますが、慶応3年とくらべるとすこしさびしいかな。