鉄分補給の旅

 今回の旅の目的は「鉄分の補給」であります。鉄分が不足しているならレバーでも
食すればよろしいといわれそうでありますが、その鉄分ではありませぬ。
 「鉄ちゃん」とよばれる人々がいうところの「鉄分」であります。
その昔といっても、今からたかだか40年ほど前のことになりますが、当方が学生の頃は
旅行というと鉄道を使ってというのが一般的でありました。学校の長期休暇の時、京都
から親元へと戻るときは例外なく、日本国有鉄道の特急列車を利用しておりました。
 その頃には、長距離を移動するに飛行機利用というのは、特に珍しいことではなく
なっていまして、一定の年齢以下を対象とするスカイメイトという制度が普及しており
ました。
 国鉄には学割という制度がありまして、学校の事務室にいって証明をもらって提示
すると運賃が安くなるという仕組みがありましたので、当方はもっぱらそれでありま
した。
 特急列車をのりついでも、ほぼ一日かかりの旅となりますので、特急の指定席という
のは必須でありまして、それの確保のために、発売日には国鉄の駅で並ぶのが普通で
ありました。そろそろ国鉄では指定席をコンピュータで管理するような機運でありま
したが、当方が学生の頃には、まだその手法が確立していなかったように思います。
 当方が帰省するときに、いつもつかった特急列車は「白鳥」でありまして、特急名とは
まったく無関係でありますが、吉田一穂の詩の一節にある「未知から白鳥はくる」という
くだりとあわせて、北に向かうときは「白鳥」しかないでしょうという思いでありまた。
(そうしたノスタルジーからいうと、現在の「白鳥」というのが、八戸と函館間の短い
距離しか走らない特急の名前になっているというのは不満であります。これ以外にも、
かって一時代を築いた特急の呼び名が、あまりぱっとしない路線の特急名で復活したり
するのは、鉄道の黄金時代を知っている当方からは、違和感ありです。)

( 函館駅での白鳥、もちろん始発駅)
 その当時に大阪から日本海に沿って北上する特急列車というのは、いろいろとありまし
たが、その最長のものが「白鳥」でありました。寝台列車の「日本海」と「北国」は、
ともに急行で、特急よりもよほど時間がかかりました。
 昔の花形特急列車は、いずれもたくさんの車両がつながっていまして、13両編成
なんてのは、珍しくありませんでした。全体の真ん中へんに食堂車を有して、その
となりの車両がグリーン車、それに指定席で、あとが自由席でした。学生の身分で、
食堂車を利用するというのは十年早いという感じでありまして、車内販売で駅弁
ますのすし」を購入するのが最大のぜいたくでありました。
 今回利用した列車は、学生時代には存在しなかった豪華を売り物にする「特急寝台
列車」ですが、鉄道旅行の楽しさを再認識させてくれる「鉄分」補給には最適のもの
です。

( 私てきにはJR関西の至宝 トワイライトエクスプレスのマーク)