鉄分補給の旅 2

 本日に立ち寄った古本屋さんでも「鉄分補給」です。鉄道に関する本というのは、
本当に多くて、それだけ愛好家が多いということがわかります。
 本日の一冊は、次のものです。( 本日のネット環境ではアマゾンの書籍紹介
ページへといくことができないようです。)
「余はいかにして鉄道愛好者となりしか」 小池滋  ウェッジ文庫

余はいかにして鉄道愛好者となりしか (ウェッジ文庫)

余はいかにして鉄道愛好者となりしか (ウェッジ文庫)

 ウェッジ文庫は、あっというまに姿を消してしまったものですが、太く短くを地で
いったようなものです。このウェッジという会社はJR東海の関係の出版社であります
が、服部滋さんという凄腕の編集者が身を寄せて、渋い本好きたちの注目を浴びて、
ウェッジという言葉が呪文のようにとなえられたのであります。( ちなみに服部さん
のブログも中身が濃い。 http://d.hatena.ne.jp/qfwfq/ )
 小池滋さんの文庫の解説を書いているのは、やはり鉄道愛好家の原武史さんであり
ますが、書き出しは、次のようなものです。
「大正後期から昭和初期にかけて生まれた男性には、鉄道好きが多いように思う。
1920(大正9)年生まれの阿川弘之、26(大正15)年生まれの宮脇俊三、30(昭和5)年
生まれの原田勝正などが代表的といえよう。本書の著者小池滋もまた31(昭和6)年
生まれで、この世代に属する。」
 このなかでは、宮脇俊三さんのものを数冊読んでいます。「最長切符」とか「全線
踏破」ということに挑んでいる人がいると知ったのは、宮脇さんのおかげでありました。
 当方が、鉄道旅行についての本を最初に読んだのは、たぶん「阿房列車百鬼園先生
のものでありましょう。古くからの新潮文庫であったかもしれません。高校の時に、
わけがあって2年生から下宿することになったのですが、この下宿に「小説新潮」を
定期購読されているかたがいて、その人が廃棄した「小説新潮」をいただいて、
百鬼園随筆」を読み、百鬼園先生のことを知りました。
 食堂車でひたすらビールを飲むために、東京から大阪行きの特急にのり、用事も
ないのであるから一等車でなくてはさまにならないというような屁理屈は、常識に
とらわれている人には、とうてい理解できないものです。
 こうした超絶鉄道マニアとくらべますと、小池滋さんのものは、ずっと学問的で
参考になります。
「日本の鉄道が生まれた時の先生はすべてイギリス人だった、と書いたが、これは
本土の話である。(中略)
 日本政府も、北海道開拓については、当時西部開拓の仕事をやりつつあったアメリ
を、すべてにわたってお手本にすることとした。鉄道建設についても同じことで、本州
の場合もっぱらイギリス人から教えられたのとは違い、こちらはアメリカの鉄道から
学ぶことにし、先生もアメリカ人であった。」
 客席に関していうとイギリス式はコンパートメントであり、アメリカ式は、現在の
日本で一般的な「車内は中央に通路があって、その両側に二人がけの座席が並ぶ協会
のような型」だそうです。
「すべてアメリカ式をお手本にした北海道の鉄道は、このような客車を採用した。この
方がお客にとっても、鉄道職員にとっても便利であったため、日本の客車は次第にこの
アメリカ型に統一されていった。現在の特急電車や新幹線電車も、基本的にはこの
スタイルである。」
 なるほど、現在の客車スタイルは北海道の鉄道から始まったのか。勉強になることで
あります。