百年を生きた人5

 高杉一郎さんが心血を注いだ「エロシェンコ全集」全三巻 59年 みすず書房刊に
は、内容見本があるということがわかりましたが、この内容見本に寄せた長谷川四郎
さんの文章は、全集では目にすることができませんでした。雑誌などに寄稿されたもの
とくらべると、内容見本へのものは、ごく短いものでありますからして散逸しがちなの
でしょう。長谷川四郎さんの全集を編集した福島紀幸さんは、長谷川さんの発表した
文章を集めるのに、長谷川夫人がつけていた家計簿の記載をでがかりにしたとのことで
す。みすず書房と長谷川さんは親しい関係でありましたし、内容見本への寄稿は、
無償で、ただし全集本を贈呈なんてことが、長谷川全集からこの文章が散逸した背景か
もしれません。
 高杉一郎さんと長谷川四郎さんをつなぐのは、片山敏彦さんなのでしょう。
静岡時代を回顧した高杉さんの文章(「往きて還りし兵の記憶」岩波書店から)には、
次のようにあります。
「 年が明けると(53年1月のこと。)、ひとつの小さな幸運が私たちを待って
いた。静岡県静岡大学の近くに建設中であった鉄筋コンクリート四階建ての大岩
アパートが完成し、私たちにはふた間と台所と浴室のあある二階の一劃が割り当てら
れたのである。24世帯が入ったそのアパートには、私たちをふくめて県立高校の教師
の家族が四世帯かぞえられたから、入居条件の選考で多くの点を稼いだのは私の家内の
方だったのであろう。
 わたしは龍爪山を望む北側のまどぎわに机をすえて、ここを自分だけの部屋とした。
やがて、中国文学者の竹内好や小野忍、『シベリア物語』の長谷川四郎などが遊びに
きて、この部屋に泊まっていくことになった。」
 高杉さんの奥さんは、高校教師をして三人の子供さんを育てて、高杉さんの留守を
まもっていたのですが、その静岡に復員して4年後のことになります。このアパートに
転居したときには、「極光のかげに」はベストセラーとなっていたのですが、版元は
まったく印税を支払うことなく会社は倒産して、本が売れたことの恩恵を被ることは
なかったとのことです。
 家族5人で、狭いアパートでありますので、現在でありましたら、こんなところに
住めるかといわれそうでありますが、この時代は新築の鉄筋コンクリート住宅で風呂
付きは、極めて恵まれた住環境でありました。
 話しを長谷川四郎さんの「エロシェンコ全集」に関する文章に戻します。
59年10月19日付 「週刊読書人」に全集の書評をよせています。その部分を
引用します。
「 今、突如として思い出されたように、『エロシェンコ全集』があらわれてきたが、
もとよりこれは追憶の書というようなものではない。はなばなしくはないけれども、
当然の歓迎にあたいする。死後の帰還ともいうべきものである。わたしたちは傷つい
て、いまなお戦争責任をめぐり紛争したりしているが、この沈黙の帰還にさいして、
しばし議論を中止し、一堂に会して、喪章をくっつけたジャガイモに、・・ありあわ
せの花をのせて、もぐらもちのエロシェンコにささげるべきではなかろうか。・・・
 エロシェンコの国際主義は、いわゆる文化協定や作家会議的なものでなくて、
それより以前に、いかにも自然に諸民族の中に身をおいているものだった。わたしは
このような精神をうらやましく思う。敗戦で、わたしたちの肩から、日本帝国の後光は
消えたようだが、わたしたちはまだなかなか、この島からでてゆくことはできない。
その前に、多くのことを、この国内で解決しなくてはならないからである。そして
これが、エロシェンコの死後の忠告にちがいないのである。」