「女性セブン」を立ち読み

 本日の朝一番で友人から連絡がありです。プライムで週刊誌ののぞき見を

していたら、「女性セブン」の掲載記事に興味をひくものがあったので送るわ

とのことでした。

 その記事とは「樹木希林さんが遺した『100冊だけの本棚』から学ぶべき

こと全目録」というタイトルです。

 送られてきた記事はあちこちにマスクがあるのですが、テキストはほぼ読む

ことが出来るようになっています。

 これによりますと、樹木さんは自宅に100冊だけ本を残していたのだそうで

す。たいへんな読書家なのに100冊は少ないなと思ったら、保存の1冊がでた

ら、これまでのものを整理して、100冊に収めるということをしていたのだそう

です。

 この記事はかってマガジンハウスの編集者 椎根和さんが情報提供者で

あるらしく、椎根さんのコメントがのっていました。椎根さんのコメントで足りな

いところもあったり、「女性セブン」も本の目録掲載だけで精一杯のようであり

ますので、これはちょっと補足しておかなくてはと思ったものです。

 というのも、この記事の一番最初に取り上げられている作家さんについて、

次のように書かれているからでありました。

「とにかく、いちばん長い間、樹木さんの書棚に鎮座していたのは長谷川の本

ではないかと椎根さんは言う。実際、遺された100冊のうち、エッセイ集『長谷

川四郎の自由時間』をはじめ6冊が長谷川四郎の著書だった。」

 樹木希林さんと長谷川四郎さんでありますか。これがここまでのこととは

思ってもみなかったので、まずは驚くことになりです。

長谷川四郎さんの6冊はなんであったのかというのが疑問でありましたので

まずはこれを知るために「女性セブン」を手にして確認してみることにであり

ます。

 そのまえに送られてきたテキストの続きを見ることにです。

 上に引用したのに続いて、椎根さんのコメントです。

「『悠木千帆様』と直筆のサインがはいったものもあり、交遊があったようで

す。小説だけでなく、戯曲を書いたり、絵を描いたり、戦争にも芸術にも精通し

ていた長谷川作品への思いは強かったのではないでしょうか。18歳で文学

座一期生に合格し、演劇の道をあゆみ始めた希林さんが、いちばん愛読、信

頼していた文学者だったのだと思います。」

 交遊があったとありますが、これはどうでしょうね。樹木さんは四郎さんの

愛読者でありましたし、四郎さんも樹木さん(というか、やはりここは悠木千帆

さんですね。)に関心を抱いていたのは間違いないのですが、それは、この

上の椎根さんのコメントに引き継いでのところに手がかりがありです。

長谷川四郎全集(第七巻)の一冊には樹木さんとの対談が所収されている。

ちょうど長女の也哉子を妊娠中」

 そうでありました悠木千帆さんは、四郎さんと対談をしているのでありまし

た。残念なのはそれが掲載されているのは四郎全集第七巻ではありません。

この全集には対談は一切掲載されていませんですからね、全集第七巻という

と、その月報に悠木千帆さんの文章「男っぽい男と女っぽい女」が掲載され

ているのでした。ちなみにこの月報は1977年1月となっていますので、その前年

に書かれたものでしょう。

 この時の悠木さんの文章は、長谷川四郎さんと対談した時のことを思い出

すことで書かれています。

 ということで、四郎さんと悠木さんの対談はどこで発表されたかであります。

あらま、これについてはずいぶんと昔に、拙ブログで話題にしておりました。

vzf12576.hatenablog.com

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 長谷川四郎さんが編集し、土曜美術社からでていた「自由時間」第2号 に掲載

されていた四郎さんと悠木千帆さんの対談「笑いと大衆」から、お二人の雰囲気を

伝えるページを掲載です。

 今月は長谷川四郎さんの「山猫忌」というのをやっていたのでありますが、今回

の「女性セブン」の記事は、まさにこの趣旨にぴったりのものであります。

樹木さんは亡くなって1年7ヶ月とあります。あの世では新参の樹木さんは、無事に

尊敬する四郎さんに出会うことはできたでしょうか。もちろん、そのときには悠木です

といってあいさつをしなくては、四郎さんには認識してもらえないことで。

 樹木さんの四郎本、残りは何かということについては、明日にまた。