百年を生きた人7

 本日は午後から電車を利用して移動をしていたのですが、車中で「あたたかい人」を
読んでおりました。一昨日に長谷川四郎さんが、静岡の高杉一郎さんのお宅に泊まる話
しを「往きて還りし兵の記憶」から引用しましたが、これについての詳述は、この本に
もあるのでした。

あたたかい人

あたたかい人

 その文章は「こがらしの森」というタイトルで、「紅炉」という静岡の同人誌に寄せ
た文章です。「高杉一郎・小川五郎 追想」には「紅炉」同人の島岡明子さんという方
が寄稿をされています。
「私は女だけの同人誌『紅炉』を、『文芸静岡』より四カ月早く創刊した。早速氏に
お送りすると。祝詞に添えて忠告をいただいた。何気なく奥付発行者名の箇所に本名の
渡会春枝を、発表作品ではペンネームの島岡明子を記したが、この場合、誌上名を二通
りにする要はないのでペンネーム一つにしたほうがよい、と指摘された。おそらく誰も
言ってくれないことである。・・・
 特に同人吉田知子さんの作『東堂のこと』を褒め、『たいへん感心しています。
ジャーナリストをしていた私のカンがまだ鈍っていないとすれば、彼女はモノになりま
すね。』と明言。このお便りの結びでは『とにかく彼女を激励してあげてください。』
と懇切に書き添えられてもいた。実際四年後に吉田さんは『無明長夜』で芥川賞を受賞
して作家デビューを果たしたのだった。降って1993年7月、三十年間主宰した『紅炉』
を閉刊の折には、特別記念(最終)号の巻頭を高杉一郎氏の『こがらしの森』で飾る
ことができ、同人皆が喜び感謝した。」
 高杉一郎さんは、静岡にいたしたときに「静岡文学連盟」を結成して、文芸静岡」と
いう機関誌を発行していたとあります。大学の仕事、自分の研究のほか、さらに地域の
文学運動というのですから、本当にタフなことです。
 「紅炉」最終号によせた高杉一郎さんの「こがらしの森」に登場する「長谷川四郎
さんのくだりを、以下に引用しましょう。
「 わが家には東京からの泊まり客がいた。『シベリア物語』の長谷川四郎である。
彼は娘たちが附属中学から帰ってくると、いっしょにシベリアの民謡を歌ったり、隣り
組の割りあて労働になっている庭の草むしりに私にかわってでたりして、夜は私と枕を
ならべて寝た。背の高いのっぽの彼の足は、わが家の布団の外にはみ出た。」
 長谷川四郎さんは、高杉さんよりも一歳年少でありまして、本年生誕百年となりま
す。同じくシベリアでの強制労働に従事した二人ですが、いまは共に「富士霊園 文芸
家協会」の「文学者の墓」に眠っています。