今年も山猫忌

 毎年4月19日「長谷川四郎」さんの命日の頃に、「山猫忌」を執り行うことになって
います。主催は「ぼくの伯父さんの会」でありまして、それぞれの人が、それぞれの
スタイルで、長谷川四郎さんを追悼するのが流儀です。(「山猫スト」なんて言葉が
ありましたが、「山猫」は束縛されるのが好きではありません。)
 昨年の「山猫忌」から、これまでに長谷川四郎さん関係で刊行されたものなどをもち
よって遺影にささげることになりますが、本日は晶文社からでた「長谷川四郎全集」の
内容見本に掲載されている写真を借用することにいたしました。
75年10月17日に撮影されたもので、撮影は浅井慎平さんです。

 長谷川四郎さんの写真に重なっている白い線画は、四郎さんのサインとそれに添え
られた絵でありますが、さらさらと描かれているように見えますが、実はとても
丁寧に時間をかけてサインをしているのでした。これから半年後の76年4月27日に
札幌で「長谷川兄弟展」というのがあって、その会場でサイン会があったのですが、
ちょうどそこに足を運ぶことができました。
 全集16巻の年譜には、次のようにあります。
「 四月〜五月 札幌と函館で<長谷川兄弟文学展>開催」
「 四月二十六日 札幌へ行き、二十七日、会場でサイン会。
    二十八日 函館へ行き、二十九日、会場でサイン会。
    三十日、母校(函館中学校、現・函館中部高校)を卒業後初めて訪問。」
 この時の様子を長谷川四郎さんは、「札幌・函館サイン会」という文章にして発表を
しています。初出は札幌からでていたタウン誌「北の話」です。その後 庄司肇さんが
主宰していた「きゃらばん文庫」の一冊「ところで今は何時かね」に収められ、没後に
刊行された「山猫の遺言」(晶文社)に収録されました。
「ところで今は何時かね」は82年の刊行ですが、これの編集は「ぼくの伯父さんの会」
となっています。これが「ぼくの伯父さんの会」の元祖です。編集に名前をつらねて
いますのは、小沢信男、高頭祥八、玉井五一、福島紀幸の四人です。
 たぶん、小沢信男さんが書かれたと思われる編者あとがきに、次のようにあります。
「 本書を長谷川四郎を愛するすべての人々にお届けしたい。が、そんなに部数は
 刷らないから、はて、どうなりますか。この自由な時間に触れてあそぶわれらの感謝
 を結集して、目下病床の著者のお慰めとしたく存じます。
  なお「ぼくの伯父さんの会」というのは、べつになんの規約もなし、本書を楽しん
 でくださる方はどなたも会員です。ただ、お祭りの係員のようなものとして世話人
 おります。」
 昨年に、拙ブログで「ぼくの伯父さんの会」と綴っていたのは、この小沢さんの文章
が頭に残っていて表にでたものでありました。
( http://d.hatena.ne.jp/vzf12576/20090824  )