百年を生きた人6

 内容見本に寄せた小さな文章は単行本に収まることもなくて、後になってみると
確認することが難しい種類の文章となるようです。長谷川四郎全集は、かなりきちんと
した編集となっていますが、それでもやはりもれている文章はあるのでしょう。
作家の個人全集には、単行本になったものだけを収録して終わりなんてものもある
ようですが、こういうのを全集とよびたくはありませんですね。全集というからには、
単行本に未収載のものが相当にはいっていること、索引がきちんとついていることが
最低の条件であります。
 「エロシェンコ全集」みすず書房 第3巻の帯には、「なかのしげはる」さんの文章
が掲載されています。この文章の末尾には、「日本読書新聞 十一月二日」とあるので
すが、この文章は、ちゃんと「本とつきあう法」に収められています。(中野重治さん
は、一時期「なかのしげはる」と表記していたことがありました。)
 中野重治さんには、「エロシェンコ全集」について記した文章を、もう一つ発表して
います。これは「みすず」60年1月号にのった「一つの鏡」というタイトルですが、
78年10月に刊行された「中野重治全集」第25巻ではじめておさめられたとあります。
 なかなか目にすることのできない「一つの鏡」から、すこし引用です。
エロシェンコは尨大かというとささやかでつつましい。激烈かというとやさしい。
日本滞在も四年ばかりで、日本に何十年もいたある外国人というのとはちがっている。
しかしエロシェンコは、そのささやかでつうましいところ、小さく、短くてやさしい
ところでかえって日本に深くつながっている。彼が盲だったことも考えると、どうして
こんな人がとにかくいることができたかということだけでも、ほとほと不思議になって
くる。・・・・・・・・・
 訳者、編者の高杉一郎についても一言したい。この訳者は、この仕事についての
ほんとうの適任者であるだろう。しかしそれは誰にでもわかることだから私は説明し
ない。私は私としてのことをいいたい。戦後の一時期、ソ連にいた日本軍捕虜がどし
どし帰ってきた。彼らの手でいろいろの物語が書かれはじめた。そのとき『極光の
かげに』が『人間』にのりはじめた。筆者は高杉一郎という人だった。私は、『人間』
の編集者に、あれは小川五郎ではないのかと聞いてみた。編集者は小川の名も知らな
かった。世間でも、小川五郎に結びつけては誰も考えていないようだった。私はあれは
小川五郎だろうといった。私の憶測はあたっていた。むろんこれは、「極光のかげに」
の藝術的評価そのものではない。」