わたしと筑摩書房10

 柏原成光さんの「本とわたしと筑摩書房」は、会社経営の話として読んでも興味
深いものであります。倒産してから立て直す過程において、売れる本造りを進めると
ともに、在庫管理のための倉庫建設、本社屋を売却して蔵前に移転する話など、
中小零細の経営者の苦労話として読めない事もありません。
 柏原さんの後継社長についての記述も、出版社の編集者の思い出話としては、異例な
ことです。(大手の出版社でも代表は世襲というのがけっこうありますので、そうした
会社では、後継社長というのは、話題にもならないことです。)
 とはいうものの、この本で楽しいのは編集の苦労話でありまして、本日に話題とする
のは、「装幀に苦労した『金達寿小説全集」」であります。
「 この小説全集の編集作業は極めてスムーズに進んで、何の問題もなかった。この時
苦労したのは装丁全集だった。装丁者は名うての凝り性 の田村善也さんであった。
・確かに彼の装丁は重厚で味のある私の好きなものではあったけれど、上野英信さんの
天皇陛下万歳」の時の、彼の資財への凝り性ぶりを経験していたので、あまりありが
たい話ではなかった。『天皇陛下万歳』の初版本は、布箱、布装であった。その布は、
当時もう入手困難ば戦時中兵士が使った袴地と同じものをという指定であった。
初版はなんとか作ったけれど、重版以降は手に入りにくいだけでなく価格的にもあわ
ないということで、結局、改めて紙装の普及版を作らねばならなくなったのである。
案の定、このときの全集も、箱には和紙を使いたいということになった。この時代、
和紙はいろいろな理由で、もうあまり装丁には使われなくなっていた。とにかく高い
というのが最大のネックだ。・・・
 できあがった装丁は、いかにも田村さんらしい力強さを感じさせる、金達寿
イメージにもあったよい装丁であった。・・というわけで、装丁はよかったのだが、
小説全集そのものは営業的に成功というわけにはいかなかった。」
 このところでは、「彼と親しい著者が彼を装丁者に指名することが多かったようだ。」
と書いていますが、担当編集者からすると、凝り性の田村さんが担当の場合は、できは
良くてもいろいろと違った悩みが多くて、読者として接するのとはちがった感慨を抱く
ようであります。