一冊の本から

 本日帰宅をしましたら、朝日新聞出版からでているPR誌「一冊の本」が届いて
おりました。いつもこんなに早かっただろうとか思いながら、ページを開きますと、
装丁家の仕事」という文章が目にはいりました。先々月にやったものを受けての
ものですが、今回、取り上げられているのは田村義也さんの仕事についてであります。
(ちなみに筆者は、重金敦之という方で、肩書きは文芸ジャーナリストとあります。)
 この文章を目にして一番残念なのは、「『展覧会 背文字が呼んでいる 編集装丁家
田村義也の仕事』の図録で、田村久美子夫人が語っている。」というくだりを目に
することですね。なにかの時に、昨年夏に、武蔵野美術大学で「田村義也展」があった
ことは見たように思いますが、けっこうな熱心なファンを自任する小生が、それの
開催を知らずにいたことと、図録がでているにもかかわらず、これをどうやって
入手するか知恵を絞らなかったことは、小生のネットが錆び付いていることと、
蒐集するための執念にかけることをあらわしています。
 今頃になって、ネットを検索して、武蔵野美大のそのページなどを見物しています。
このページのどこにも、図録の存在はでていませんのですから、ごくごく内輪に
配られただけで、一般向けにはでなかったのでありましょう。非売品とありました
ので、入手はけっこうたいへんそうであります。
まあ、この図録には縁がなかったということであきらめがつくのでしょうか。
 この図録で、田村夫人が語っていると紹介されているのは、次のような発言です。
「 田村義也さんは、安岡章太郎さんと親しく自宅も安岡さんの家の近くを選んだ
ほどだ。装丁の見解が異なってぶつかることも多々あり、装丁が複数ある本が出来
あがったこともある。田村さんが選んだ色が気に入らなかった安岡さんの意向を
安岡夫人が田村邸に伝えにきたことがあった。田村さんは安岡夫人に向かって、
安岡章太郎のことは、安岡さんさん本人より俺のほうが知っている。』と言った
そうだ。」
 50年ほどの交遊が、こうした発言を可能とします。安岡章太郎の本で、田村
さん以外の装丁本を思い浮かべるのは難しいことです。(死後の作品でさえも、
田村さんのものに見えるようになっています。)