わたしと筑摩書房9

 柏原成光さんの「本とわたしと筑摩書房」の書き出しには、次のように
あります。
「 筑摩書房の歴史を知るのに欠かせない本が三冊ある。
 まず、なんといっても第一は『筑摩書房の三十年』である。これは私が入社して
六年目、1970年の筑摩書房創業三十年を記念して作られた、唯一の社史である。
これは社史といっても、他社の多くの社史と違い、作家の和田芳恵氏が、創業者・
古田晁の依頼を受けて、いろいろな関係者から話を聴取してまとめた『物語』であり、
読んでなかんか面白いものである。筑摩書房の神話時代とも言うべき創業期のことを
よく伝えてくれる、いわば筑摩書房の『旧約聖書』とも言うべき一冊である。・・・
 二冊目は、臼井吉見氏が書いた『蛙のうた』である。1965年に出版されて、1971年に
筑摩叢書に収録された。臼井氏は、古田晁氏の竹馬の友であって、そもそも臼井氏が
いたから古田氏が筑摩書房を作ったのであり、筑摩とは切っても切れない人である。
・・・
その歩みは草創期の筑摩書房を知るのに欠かせないものである。
 もう一冊は、古田氏が亡くなって、彼と親しかった人々が書いた追悼文を、臼井氏が
編集した『回想の古田晁』である。これを読むと創業者古田がいかに出版人として人々
に愛された人物であったかということが、筑摩書房の歴史とともに、浮かび上がって
くる。・・これも非売品であったが、・・社を辞めた原田奈翁雄氏が創業した径書房
から、その最初の本として出版された。」
 筑摩書房のファンとしては、この三冊は必携であると思うのでありました。ところが、
筑摩叢書にもなっている「蛙のうた」が見当たらないのでありました。この本を持って
いないなんてことがあるでしょうか。原田さんの径書房の最初の本となったのは、
「そのひと.ある出版社の肖像」は購入していると思うのですが、これもどこにあるの
か、すぐにはでてきませんでした。
 臼井吉見さんの「田螺のつぶやき」という文章が、近くにあって目につきました。
これには、臼井さんが筑摩書房にはいった時のことが記されています。
「 僕は教師をやめて上京し、古田晁の出版企画の手助けをする決心をしたのです。
戦争遂行に役立つ出版でないかぎり、紙をくれないとかで、彼が窮地に追い込まれた
からです。多くの人が、東京をひきあげて疎開してくるというのに、僕はその逆を
行こうとしたわけです。老父は、よほど切なかったと見えて、筑摩書房なんて顕微鏡で
みてもわからないような本屋じゃないか、いくさの最中、そんな所へ、どう思って
でかけて行くんだろうと女房に訴えたそうで、顕微鏡でもわからないような存在ゆえ、
それを守るつもりででかけるのでしょう、とこたえたとか。しかし、父は僕には、
そんなことは一言も、もらしませんでした。」
 松本の女子師範学校の先生をしていたのですが、戦時下にふさわしい教育方針に違和
感を持って、安定した教師をやめて、「顕微鏡でみてもわからない」本屋に転職する
のでありますが、古田さんとの信頼関係がなくては、ありえない転職であります。