わたしと筑摩書房11

 柏原成光さんの「本とわたしと筑摩書房」を見ていましたら、こんなことが
あったのかというエピソードにいきあたりました。
 章の見出しは、「三浦和義氏に告訴される」というものです。
「 ちくま文庫に、小沢信男著『定本 犯罪紳士録』という本がある。
『犯罪紳士録』は1980年2月に単行本でわが社から出版されたものである。
もともとの企画は松田哲夫君であった。それが1984講談社文庫に収められたが、
ちくま文庫を創刊したこともあり、講談社文庫での絶版を踏まえて、ちくま文庫
いわば里帰りする形となった。・・・
 時代はすでに平成になっていたので、最終章の明治から昭和までの代表的な犯罪を
短いコメントで綴った人名録『犯罪紳士録 明治 大正 昭和』に、新たに10人を
加え、決定版としたのである。その増補した部分に、三浦和義氏が付け加えられた。
それが90年12月、三浦和義氏から名誉毀損であると告訴されることになった。・・・
収監されていた三浦和義氏は、このころ獄中から次から次へと自分のことを扱った
記事や本を名誉毀損で訴えていた。その勝率はかなり高い、といわれていた。
・・『三浦氏は、拘置所裁判所からマスコミを訴えること500件以上、その8割に
勝訴し、5000万円を得た。」とある。」
 三浦和義さん関係の週刊誌報道に興味がなかったせいもあって、ひいきの作家
小沢信男さんが三浦和義さんから訴えられているとは知りませんでした。
「 本人弁護ということで、弁護士を使わず、本人が陳述するスタイルであった。
彼は場慣れしていて、立て板に水で、とうとうとしゃべる。こちらの証人として、
法廷にたった小口君と小沢先生は、弁護士や裁判官の質問に答えるのだが、
場慣れしていないし、小沢先生はもともと訥弁だ。三浦氏の見栄えにはとても
かなわない。・・・・それにしても、三浦氏の頭の回転のよさと弁舌のうまさには
感心させられた。その才能をもっと他のことに活用できなかったものかと、よけいな
ことを考えたりしてしまった。」 
 週刊誌をもっている出版社は、けっこうひんぱんに訴えられることがあるように
聞いていますが、筑摩書房では、そこまでは裁判にまきこまれるということは
なかったのでしょう。
「定本 犯罪紳士録」の人名録には、昭和の記憶に残る犯罪の主役がとりあげられて
いますが、すでに死刑を執行されている人がいれば、罪をとうことはできずという
ことでどこかでひっそりとくらしたり、または刑の執行をおえて社会復帰をはたして
いる人もいるようです。
 三浦和義さんについては、次のようにきしています。
「テレビでも同時にとりあげ、一気に世の話題をさらった。三浦は人権侵害で
訴えるなど積極的に反撃にでて、テレビに出演し、著書もだした。
『疑惑』のほうも次々にでて、先年ロスで発見された女性変死体が、三浦の以前の
愛人だったことが判明したり。別の愛人のポルノ女優に命じて、ロスのホテルで
妻を襲わせたり。とにかくネタがつきないのでマスコミ界は沸きに沸き、テレビの
ワイドショーにも連日登場し、<三浦フィーバー>とこれを称した。ハンサムな
男が美女をつぎつぎに妻にしながら大金を得ていることへの大衆的嫉妬であると、
これを評する識者もいた。・・・
 公判は証人しらべが精力的に進行中だが、もうすっかり人気が落ち、公判の様子
など誰も知らない。」
 三浦和義さんにしたら、「すっかり人気が落ち、公判の様子など誰も知らない。」
というくだりが、許しがたかったのかもしれません。