手紙が語る戦争4

手紙が語る戦争

手紙が語る戦争

 この本の装幀は林哲夫さんによるもので、写真いりで紹介をしたいのですが、
残念ながら、この商品紹介には書影がありません。
 まったくの偶然ですが、本日の朝日新聞朝刊(東京版)の「声」欄に「手紙が
語る戦争」とよぶにぴったりのものがありました。投書しているのは山口市
住む18歳の大学生であります。以下に投書の全文を引用します。

「 私の祖母は、出征した兄から届いたはがきを大切に保管している。昔一度だけ
見せてもらったが、そこには幼い妹をおもいやる兄の思いがあふれていて、とても
感動した。
 一方で、「元気か」「自分は大丈夫だ」「父さん母さんのいうことをよく聞きな
さい」などの言葉が並ぶはがきの表に堂々とおしてある軍事検閲印に、戦争への
むなしさと怒りを感じた。優しい兄は故郷に帰ることなく戦死した。
 郵便とは人から人への思いを届ける仕事だ。しかし最近の不正DM事件などを
聞くと、郵便に携わる人間としての誇りを忘れているのではないかと思う。
 新聞で郵便会社がらみの記事をみつけるたびに、祖母が涙を浮かべて読んでいた
茶色いはがきが思い出される。」
 祖母の兄からの軍事郵便への感動から不正DM事件に関して人間としての誇りに
言及するというのが、お若い人らしくもあります。
当方は、本日も「手紙が語る戦争」を話題にしようと思っていましたので、この
記事は、大変タイムリーでありました。
戦死した祖母の兄が、幼い妹へあてたハガキとありますが、現在この方のおばあ
さんはおいくつになるのでしょうか。軍事郵便のハガキを受け取った時に5歳と
すれば、まだ70歳くらいなんてこともありでしょうか。70歳で18歳の孫と
いうのはちょっと無理があるか。
 
 昨日に参考にしていた「中島敦全集」の書簡について編者である「郡司勝義
さんは、つぎのように記しています。
「 今日まで手に入れることの出来た書簡百七十九通を収め、これを年代順に配列
した。著者の友人知己など、同世代の人たちの過半数は兵役に徴せられ、のちはその
留守家族が戦災に遭うなどして、残されている書簡の意外に少ないことが、まことに
往時の時世を素直に物語っていると言えるであろう。」
 この書簡には、数年前に単行本となった、息子さんへの手紙も掲載されています。

 全集の解説には、郡司さんがこの息子さんへの書簡について、次のように記して
います。
「 著者が南洋に赴任した昭和16年には、令息 桓氏は小学校の二年生になっていた。
南洋滞在中は、・・・令息にあてても、折を見て絵はがきを書き送っていた。
 著者の没後、友人の檞本久春氏はこれら桓氏宛の手紙を編集し、『南洋のお話』と
題して、少年向けの雑誌に発表する予定であったところ、昭和18年も春を過ぎると
時局はますます逼迫してきて、このような文章を掲載するゆとりは、どこにもゆる
されず、原稿のまま今日に残されてしまったものである。・・・
 この釘本久春氏による『南洋のお話」は、書簡本文もすべて同氏の筆写にかかる
原稿である。この書簡(南洋のお話の)は全五十通、現存するのはそのうちの二十五
通で、他は同氏の許に渡ったままでその後遺族に返却されず、今日まで行方が判って
いない。
 今、釘本氏の筆写部分と現存書簡を読み合わせてみると、同氏が用字ならびに本文を
改めているところが多々あり、さらに解題者が遺憾と思うのは、原書簡が不明な
ために、発信月日の手がかりが得られない部分がある事である。」
 川村湊さんが編集した上記の書簡集は、中島敦さんのはがきがそのまま写真で紹介
されていたのですが、この不明分であったものについての扱いがどうなっているのか、
改めてのぞいてみたくなりました。