「奇縁まんだら」の楽しみ

 瀬戸内寂聴さんの「奇縁まんだら」を図書館から借りて読んでいます。
日本経済新聞に連載のものを一本にまとめたのですが、昨年の連載中に
荒畑寒村についてのことを小生のブログの材料にしたことがありました。
小生のリンク元をみますと「奇縁まんだら」の検索からきたものが多く見うけら
れますので、「奇縁まんだら」はずいぶんと話題になっている
ことがわかります。
 新聞は数ヶ月しか購読していませんでしたので、今回単行本となったものでも、
半分も読んでいないのでした。

奇縁まんだら

奇縁まんだら

 「奇縁まんだら」の楽しみは、大作家を取り上げた時、その周辺に描かれる
人々のことであります。たとえば、川端康成について描いているときの、次の
くだり。
「 横浜の港の南桟橋に、白い巨体を悠然と横たえているのは、ソ連の船
 モジャイスキー号であった。ソ連と日本の定期航路がこのたび開通し、その
 初めての航海の日に当たっていた。
  昭和36年6月のはじめ、快晴の空から太陽が強く照りつけていた。船の
  甲板のてすりには、中年から初老の女客たちが、せりあって折り重なって
 いた。・・・
  船客たちは定期航路開通を記念して日ソ婦人懇話会で、初の訪ソ団を組織
 した女性ばかりの団隊であった。・・団長は米川正夫夫人だったので、文学者の
 夫人やその春、田村俊子賞をもらったばかりの私も誘われたのである。・・
  出発までの一ヶ月ほど、私たちは米川家に度々召集され、旅の心得など
 聞かされていたので、すっかり気心が知れていた。」
  
 この団隊のなかには、川端康成夫人、高見順夫人、三島由紀夫夫人などが
いたのだそうですが、団長は「米川正夫夫人」でした。
 この時に、どのような面々がいたのかわかりませんが、とりあえず団長は
米川夫人というのがはてなと思うことです。

 ご主人はロシア文学者でありますし、自らも米川サロンといわれた集まりを
主宰していたのですから、この団長というのは、いっこうに不思議でないので
すが、こういう文章をみるにつけ、米川正夫夫人の人となりについて知りたいと
思うのでありました。