「深夜快読」4

 筑摩の高校「現代国語」教科書は、小生が手元に残しているものただ一つの
教科書であります。昨日まで、高校2年までのものを拾い読みしていたのです
が、森まゆみさんは「高校3年の教科書」の文書を、とりあげていて、他の
学年にふれているのを目にしておりません。
 「深夜快読」筑摩書房には、先日にふれた「ああ高校3年生の教科書」という
文章があるのですが、そのほかにも、高橋和己についての文章のなかで教科書に
ついてふれています。

「 ふたたび、思いをめぐらせば、私は高校3年のとき、筑摩書房版の現代国語の
教科書で学んだ『極限と日常』という小文の印象が強く残っている。もう一つ、
これと似たテーマを扱った『自立と挫折の青春像ーわが青年論』も多くの教科書に
採られている。」(「高橋和己は生きているか」)

 小生も同じ教科書で学んでいて、先日のところで記した3年生の教材については
ほとんど記憶がありますのに、この高橋和己の小文というのは、まったく記憶に
残っていないのであります。高校3年生の教科書を確認してみなくてはと思って
いるのですが、こういう肝心なときに限って、本はみつからないのであります。
この文章を授業で読んでいないからか、それとも森さんと、小生の使った教科書は
同じ筑摩であるものの、改訂されていて一部の内容が違っているのか、気になる
ことですが、どう考えても、小生が忘れているとしか思えないことです。