国語の教科書17

 当方の高校時代は69年3月まででありました。同学年で一番有名であったのは、
庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」の主人公 薫くんであります。
 この薫くんは、高校を卒業する年に東大の受験がなくて、ほかの大学を受けること
なく、宙ぶらりんな日々に入るのですが、そうした日々を綴ったのが「赤頭巾ちゃん
気をつけて」であります。当時の日本小説は、まだまだ私小説のようなものが多く
ありましたので、主人公の体験=作者のものではないというのは、新鮮でもあり
ました。
 卒業した高校が日比谷であるとか、いくつかの点に作者の体験が織り込まれて
はいるのですが、時代設定だけは、当方の高校時代とまったく同じです。
 69年3月は東大の入学試験がなかったので、どうしても東大でなくてはだめという
人は、その年の受験をあきらめるか、他大学に身をおいて隠れ浪人をしたといわれて
います。偏差値トップ大学の入試中止のあおりで、ほかの学校も一律で入試難易度が
あがるといわれました。当方はその時の試験で、どこにもひっかからなかったので
ありますが、これは東大入試が中止になった影響というよりも、単に学力不足で
あったのでしょう。
 「赤頭巾ちゃん気をつけて」が発表となったのは、雑誌「中央公論」でありまして、
これが芥川賞の受賞につながりました。この作品については、芥川賞受賞後の
「文藝春秋」で読んだ記憶が残っています。( 最近では、芥川賞受賞となるもので、
単行本や「文芸誌」以外のものってあるのでしょうか。)
 作中の薫くんは、東大に進学して、丸山真男に師事することを願っていたはずで
あります。大学闘争では、丸山真男は倒すべき権威の筆頭のようになっていたのです
が、薫くんにとって、そして作者にとっては最大のアイドルでありました。
 同じ学年の田舎の高校生が、丸山真男というえらい学者の文章に初めてふれるのは、
やはり筑摩書房「現代国語」3年生でありました。
これには、岩波新書「日本の思想」から「『である』ことと『する』こと」という
文章が取り上げられていました。(この教科書で文章を目にしたとき、丸山真男が反乱
学生たちの批判を浴びていたと知っていただろうか。) 
 この「であること」の冒頭は「権利の上に眠る者」という表題となっておりまして、
日本国憲法第12条の読み方つながっていきます。
「 この憲法の規定を若干読み替えてみますと、『国民はいまや主権者となった。
しかし主権者であることに安住して、その権利の行使を怠っていると、ある朝目ざめて
みると、もはや主権者でなくなっているといった事態が起こるぞ。』という警告に
なっているわけなのです。これは大げさな威嚇でもなければ、空疎な説教でもあり
ません。それこそ、・・・最近百年の西欧民主主義の血塗られた道程がさし示して
いる歴史的教訓にほかならないのです。」