国語の教科書6

 筑摩書房「現代国語」1年生の最後におかれている教材は上原専禄「物の見方、考え
方」であります。この教科書は最初から最後まで、自分の頭で考えるということを求め
てきます。
 上原専禄なんて名前は、高校一年では知るはずもなしです。ほとんどの同級生に
とって、そして当方にとっても上原専禄の文章と出会うのは、これが最初で最後のよう
なものであります。
「 今までの日本人の物の考え方として、わたしはとりあえず三つの特徴をあげてみま
した。第一の特徴は、自分ひとりで物を考える傾きがあったということです。第二の
特徴は、物を孤立させて考える傾向があったということです。第三の特徴は、個性ある
ものとして物を見ることが少なかったということです。そのほかにも、わたしどもは、
いろいろの特徴をあげることができましょう。たとえば、第一の特徴に関連するのです
が、日本人は行動に即し、それに密着しながら物を考えることが少なかったといえま
しょう。
・・・第二の特徴に関連するわけですが、日本人は、物を常に動くものとして考える
ことが少なかったと言えましょう。また、第三の特徴に関係すると思いますが、日本人
は、物を相対的なものとして評価することを知らず、いつも絶対的な価値尺度で評価
する傾向があったように思うのです。しかも、ほんとうに絶対的な価値尺度というもの
をつかんでいたかというと、そうでもありません。何かのつごうでこれだと思い込んだ
ものか、価値尺度にしていただけだと思うのです。」
 上に引用した教科書の文章は、「現代を築くこころ」(理論社)に収録されている
ものです。上原専禄は、大部の全集がでていますし、門下からは阿部謹也などもでて
いるのですが、このときはその偉さには、まったくわかっておりませんでした。
 高校をでてから上原専禄が話題になったのは、亡くなってから何年もその死が知ら
されずにいたことによってでありました。
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』には、以下のようにあります。
「 1969年4月27日の夫人の死を契機に、1971年6月、息子の上原淳道や弟子達も
知らない間に娘のみを伴い東京を退出、宇治で隠遁生活を送る。大学退職後は日蓮
研究に傾倒する。」
 京都は出生の地ではありますが、一橋大学の学長をつとめた欧州経済史専攻の歴史
家が、退職後に、世捨て人のようになったというのは、けっこう衝撃的なことであり
ました。