新聞の書籍広告の話題であります。本日は昨日のようにとんでも本のこと
ではなくて、当方にすればとても大事な内容の本についてであります。
今朝の朝刊の広告の一部を切り取ってみました。さてこれはどこの版元の
ものであるかな。
当方の眼を惹きつけたのは、もちろんこの真ん中のものであります(このほかにも
興味あるもの多いのです)が、まずは本日はこの広告のことを話題にしましょう。
左に武田百合子対談集とあって、その下には刊行記念対談 金井姉妹のものを
見ますと、これはすごいな力が入っているなですが、この本からでもわかるように、
この広告は中央公論新社11月の新刊案内です。
それにしても、この三つの部分だけを切り取っただけでも、それぞれがそれぞれの
本にあわせた書体と雰囲気をだしていて、好ましいことであります。
特に真ん中だけをみたら、これはみすず書房の広告かと思ってしまいますね。その
ようなスタイルを確立したみすず書房の編集責任者 小尾俊人さんへの敬意が
この広告からも伺えることで、こうしたものがみすず書房や幻戯書房以外のところ
からでるというのが出版業界の大変さを感じることで、大きな売上を期待できない
出版はお互いに協力しあって、小尾さんの志をつないでいかなくてはというような
ことを感じさせるものです。
小尾さんはこれまで何冊か本を刊行しているのですが、もともと自分について
語ることは少ない人でありますから、その人となりについては宮田昇さんの本に
詳しいことです。
当方は、「小尾俊人の戦後」に付録として付けられている「1951年日記」と
いうのを眼にして、そこに若き日の長谷川四郎さんとの交流などが描かれて
いて、とっても印象に残っているのです。それは繰り返さないことにしますが、
このあとではどのようなことになったのかなと思っておりました。
vzf12576.hatenablog.com 前回、当方が眼にしたのは「1951年の日記」のみでありますが、今回の
ものでは1965年から85年の日誌とあります。日記ではなく作業日誌のよう
なものなのかと思いますが、それでもこの間に片山敏彦著作集とか長谷川
四郎さんの訳詩集や「中国服のブレヒト」などがでていますので、それらに
ついて、小尾さんがなにか書いていないかなと気になっているのです。
本日手にしていた「小尾俊人の戦後」にやはり付録として収載されてい
る月刊「みすず」編集後記 1961年11月号からの一部引用です。
「文明を、文化遺産というごとき客観的事物としてでなく、自己の生きる原理
として、把握しなおし、主体的な能動的なものとして、現実にはたらくものに
したい。
われわれの言論と出版、教育と政治の核心はここにあると思う。あまりに、
小児病的権力主義が、はびこりすぎる現代の日本を、この骨絡みの業病から
救わねばならぬ。」
半世紀も昔に編集者が残した言葉であります。編集者が駄目になっている
というよりも、最近のリーダーといわれる人間たちがより駄目になっているの
だなと思いながら、小尾さんが残した仕事をフォローすることになりです。