「明日の友」を受けて 2

 「野の花診療所徳永進さんと藤原辰史さんをつないだ「明日の友」で

あります。もちろん編集者さんがつないだのありますが、「図書」7月号の

藤原さんの文章には、次のように書かれています。

「今月の二月に、『明日の友』(2019年春号)の対談企画のため、編集者の

小尾章子さん、チェコ出身の写真家シュヴァーブ・トムさんと一緒に野の花

診療所を訪れた。」

 担当の編集者さんは、小尾章子さんという方でありましたか。「明日の友」

の編集後記を見ましたら、小尾さんが「野の花診療所の厨房で、思わず手渡

されたおにぎりのおいしかったこと。患者さんの食べたいものをつくり、当直

明けの看護婦さんのお腹を満たし、近所の高齢者にお弁当を届ける。365日

つねに誰かのために開かれている食堂の女性たちの姿に、手当てされたよう

な温かさを覚えました。」と書いていました。

 小尾さんという編集者のことを初めて知ったのでありますが、上にある後記

の文章を目にしますと、お若い方ではなさそうでありますね。最近の若い人で

ありましたら、看護婦さんとか、当直明けというような言葉をつかわないよう

に思いますからね。

 そんなことで、ちょっと小尾さんを検索してみました。編集者で小尾さんとい

れますとヒットするのは晶文社にいらした方であります。たぶん、同じ人なの

でありましょう。

 かって晶文社に勤務していた編集者さんたちは、あちこちにちって、今も現

役でやっておられるようです。新潮社で津野海太郎さんの本を担当されてい

る方は、たぶんかっての晶文社での同僚でありましょう。

 それはさて、「図書」7月号の藤原辰史さんの文章に戻りますと、徳永さんと

の対談を前にして「あらかじめ徳永さんの著書を読み込んできていた。」と記し

た後に、次のように書いています。

「徳永さんの本には人文学者がもっと注目してよいと思う箇所が多数ある。修

羅場に常にさらされている人間が発する言葉のあの冬の凍った池のような張り

詰めた感覚をなんども感じるのである。」

 ということで、徳永本への読みが披瀝されます。当方もさらっとではありますが、

徳永本はけっこう読んでいるのですが、この藤原さんの文章を読んでみますと、

ほとんど読めていないことがわかるのでした。

 

「明日の友」を受けて

 今から三ヶ月ほど前に、「明日の友」239号に掲載の徳永進さんと藤原

辰史さんの対談を話題にしておりました。

vzf12576.hatenablog.com この対談で、当方は藤原さんのことがやっと知ることになったのであります

が、昨日に届いた岩波「図書」7月号には、この対談を受けて藤原さんが「臨床

医・徳永進の言葉と実践」という文章を寄せています。

 書き出しのところだけを引用です。

鳥取市にある野の花診療所ホスピスケアの病院である。厳しい病気に冒され

た人たちがベッドで横になり、おだやかに、ゆるやかに、痛みをこなしつつ、次の

世への旅への支度を始める場所である。」

 ホスピスの病院なんて書いてあるのを見ますと、ずいぶんと大きな建物を想像

してしまいますが、たぶん、今もここは入院病床は19床で運営されている診療所

と思います。(その後に増築されていれば別ですが。)

  鳥取赤十字病院に勤務されていた徳永さんが自分のスタイルの診療所を開

設されるというのは、ずいぶんと話題になったように思います。たぶん、徳永さん

の持ち出しで成り立つような診療所ですが、そこでの日々を綴った本が、その後

何冊も刊行されました。

  当方は、ミーハーでありましたので、診療所がオープンしてそんなに時間が

たたない2004年3月に訪れて、施設を見学させていただいたことがありまし

た。たしか診療所の看板の文字は、鶴見俊輔さんによるものであったはずです。

そのことも含めてとっても気になる施設であったわけです。

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 結局のところ、ここに足を運ぶことができたのは、この一回かぎりでありまし

て、最近は徳永さんの書くものをあまり読むことがなくなっていたところに、

藤原さんとの対談でありまして、この「明日の友」の企画はヒットであったの

だなということが、今月の「図書」を読んで見てもわかることであります。

野の花診療所の一日

野の花診療所の一日

 

 

野の花診療所まえ

野の花診療所まえ

 

朝早くにでかける

 朝早くにでかけるといっても、夜が開けてからのことでありまして、

ちっとも早くはありませんですね。そろそろシーズンは終わりになりますが、

こちらの竹の子とりは、夜明け前にスタートして、明るくなったらすぐに山に

はいると聞いています。それほどに竹の子とりは競争がはげしくて、とろとろ

としていたら、収穫にありつけないのですね。

 本日に早くにでかけたのは、お昼近くになったら閉じてしまう亜麻の花を

見ようと思ってであります。亜麻の畑があるのは自宅から車で2時間ほどの

距離にありますので、すこしでも早くにと思ったものです。

 7月に入ったらイベントを行うとのことですが、その前に見ておこうと思った

ものの、この畑の場所が、ほとんどナビではたどり着けないところでありまし

た。おお、これが亜麻畑かと思ったものの残念、まるで花は咲いていないの

でした。

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 水田を転用して亜麻を植えています。すぐとなりは麦畑になっていました。

上の写真でぽつぽつと開いているのが花となりです。イベントは来月7日で

ありますが、それ頃には一面に花となるのでありましょう。

 そのころには、以下のような花を目にすることができるのでありましょう。

(これとは種類が違うのかもしれませんけど。)

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 かっては亜麻から繊維をとっていたのですが、今は油をとることを目的に

育てているようでありまして、オメガ3を含んでいて健康にとても良いといわ

れる亜麻仁油ですが、こちらで製品化されているものは、そこそこのお値段が

するようであります。

 夕方になって帰宅しましたら、岩波「図書」と朝日新聞出版「一冊の本」が

届いていました。これは週末のお楽しみであります。

世の中ラボ

 斎藤美奈子さんが「ちくま」で連載をしているのが、「世の中ラボ」であり

ます。先日に届いた「ちくま」7月号は111回とありますので、足掛けで10年目

にはいったのでありましょうね。

 今月のタイトルは、「期待の『歴史修正主義』批判本を読む」となっています。

「期待の」というところに、斎藤美奈子さんの立ち位置があります。

 当方が歴史修正主義の立場の人と話をしたのは、いまから20年くらいも前

のことであります。自営業の二代目かで青年会議所のメンバーで、常識的な

人でありましたが、この人の口から戦後の民主的な教育は、共産党の支持者

を増やすためのものであって、否定されるべきものというようなことをいわれた

のでありました。

 世間ではそのような言い方をする人がいることは承知していたものの、自分

の近くにもそういう人がいるということに驚きました。青年会議所組織の現在が

どうなっているのかわかりませんが、昨年だかに北海道大会のポスターを目に

して、これの講演に呼ばれている人の顔ぶれをみますと、ほとんど日本会議

の集会かなと思ってしまいました。

 田舎の町では青年会議所のメンバーは、町の若手リーダーとなるのですが、

こんなんでいいのかなと思っていたら、最近の若い目立ちたがりの議員さん

を見ますと国会から市町村まで、ひどく薄っぺらであるように思えます。

 それはさて、斎藤美奈子さんの文章に戻りますと、「歴史修正主義」の本の

最初のものがでてから、すでに二十数年になるとあって、それに続いて、次の

ように書かれています。

「この主の本はめきめき増殖を続け、教科書から慰安婦の記述が消える、近隣

諸国との関係を悪化させる、ヘイトスピーチを生む、など教育、外交、生活面で

も具体的な弊害が生じている。

 こうした傾向を苦々しく感じる人も当然いたはずなんだけど、残念ながら、有

効な反論が十分に展開されてきたとはいえない。本欄も含め、私自身、この種

の本はわりと頻繁に批判してきたつもりだけれど、ほとんど何の役にも立って

いませんからね。」

 本が売れないといわれるなかで、数少ない売れる本というのが嫌韓本、嫌

中本であるというのが、この国の現実でありまして、この現状を悪貨が良貨を

駆逐するなんていっていてもだめですね。

 ということで、斎藤美奈子さんが紹介する三冊です。 

歴史戦と思想戦 ――歴史問題の読み解き方 (集英社新書)

歴史戦と思想戦 ――歴史問題の読み解き方 (集英社新書)

 
ネット右翼とは何か (青弓社ライブラリー)

ネット右翼とは何か (青弓社ライブラリー)

 

 

歪む社会 歴史修正主義の台頭と虚妄の愛国に抗う

歪む社会 歴史修正主義の台頭と虚妄の愛国に抗う

 

なんとか20度超え

 本日は午後から青空がひろがって、気温もあがりました。昨日よりも

最高気温は5度も高くなったというものの、それでも20度をやっと超えた

ところです。何日か続けて20度超えとなりましたら、バラも一気に開花と

なるのでありますが。

 旅から戻ってきて、図書館から借りている本を交換です。読めないものと

読めそうなものをあわせて数冊ですが、これは読むことができるだろうと

思って借りたのは、次のものとなりです。

ドライブイン探訪 (単行本)

ドライブイン探訪 (単行本)

 

 当方が若かったころに遠いところへと車でいくときに、途中の休憩はドライブ

インが普通でありましたね。 もちろん道の駅なんてのは、その当時にはありま

せんでした。北海道でありますので、大型の観光バスが何台もとまることができ

て、トイレ休憩ができて、おみやげが売られていて、軽食を食べることができる

なんて施設は、ずいぶん昔からありましたね。

 当方が車の運転免許をとったのは、あとちょっとで40代になろうかという時

でありまして、頻繁に遠出ドライブなんてことはしなかったので、家族でドライブ

インを利用したという記憶はありませんね。

 この本を手にして、北海道のドライブインは取り上げられているだろうかと

目次を見ることになりですが、さっと見たところでは、知っている地名はでてき

ません。それでも最初におかれた章のタイトルが「酪農とドライブインの町」と

ありますので、ひょっとしてこれがそうかなです。

 それは直別というところにあるのだそうです。こんな地名は聞いたこともなし

でありましたが、読んでみましたら、かって音別町といわれた町の集落の名前

とのことです。ここは、今は釧路市と合併し、釧路市音別町直別となってました。

 ということは、当方が住むところから釧路へと向かいましたら、このドライブ

インの前を通っているということになりますね。もちろん、まったく記憶には残って

おりませんです。

 この最初の章を見て、目を引いた記述。

「(直別で)皆がドライブインで儲けた時期というのはいつなのか。答えは図書館

に眠る小さな資料の中にあった。資料というのは、直別小学校の記念誌である。

そこには町史にも残されていなかった直別の人々の生活が書き残されていた。」

 若いライターさんでありますが、ちゃんと取材をしてです。まずは土地の図書館

へといって資料を確認しています。こんな小さな町についてとなると、コピペしよ

うにもネットの情報では圧倒的に不足であります。まして小学校も閉校するような

集落についてでありますから。こうした時に参考になったのが、小学校の記念誌

ということで、このような資料を残してくれたら、あとの人たちに、とってもありが

たいということがわかりました。

さむいのは私だけじゃない

 昨日の夜に戻ったときの空港の気温は14度とのアナウンスでありました

が、本日の最高気温は15.2度でありますので、あとすこしで7月になるとは

思えないことです。

 そんなわけで「さむいのは私だけじゃない」でありますが、これは当方が

大好きなドラマ「さびしいのはお前だけじゃない」からのいただきです。

ずっとこんな気温であるのにです、小学生くらいの女の子が半袖シャツに

半ズボン姿で自転車に乗っているのをみかけました。あの姿を目にしたら、

さむがっているのは自分だけかなと思ってしまいました。

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 気温は上がらないのですが、けなげなバラたちはもうすこしで開花となります。

そのころには、もうすこし気温があがっているでしょう。

 今回の東京で新刊本屋へは、荻窪散歩の時に立ち寄った今野書店と

本屋 Titleさんの二軒のみでありましたが、どちらも小さくてもきらりでありまして、

見てみたいなと思っていた本を目にすることができました。

 たとえば桐山襲全作品とか、ミチコ・カクタニの新刊などです。 

真実の終わり

真実の終わり

 

  ミチコ・カクタニさんは鶴見俊輔さんと同じ「日米交換船」で帰国した角谷さん

の娘さん。父親は再度米国に渡って、ミチコさんは米国で教育を受けて批評家と

なりです。

 もともとは文芸批評をしていたと思いますが、この本は時評集なのでしょうか。

当方は冒頭の文章をすこし読んだだけですが、「真実の終わり」とありますので、

これはトランプさんについて書かれたものであるようです。

 これまでの大統領の誰もが言わなかったようなこと、出来なかったことを実行

するのだから、おれは偉大だろうというトランプさんですが、この方が次の大統領

選挙で再選されるのではないかといわれているというのは、なんとも理解できな

いことです。やばい人というのは、この人のためにあるような言葉ですが、こういう

のがもてはやされるのは、世界は破滅に向かっているということかな。

 こんなやばいツイートに慣れてしまってはいけないのだよね。

西荻窪古本屋散歩

 昨日のことになります。世田谷美術館から移動して西荻窪へと向かい

ました。西荻窪の改札をでたところで、友人と待ち合わせをして、いざ古本

屋めぐりであります。一昨年にもこちらへと来たことがあったのですが、その

時は、あちこちの店がお休みとなる火曜日だったことで、今回はそのリベンジ

となりです。

 とはいうものの、古本屋は見て歩くけど本は買うことができないという厳し

い制約がありです。利用しているLCCの機内持ち込み荷物の上限は7キロ

以内でありまして、リュックに着替えとカメラ、タブレットなどを詰めると、ほとん

ど余裕がないのでありました。単行本を二、三冊購入したら、たちまちに重量

オーバーとなって、しこたまお金をとられます。

 そんなわけでほとんど見るだけの古本屋ツアーでありました。

 そういうときに限って、うっそーこんな値段で販売しているのだというのが

ありまして、泣く泣く購入を断念ということが続きました。

 西荻の有名どころを流して、最後は青梅街道を東にむかいTitleまで、なか

なか充実の本屋めぐりです。

 この西荻ツアーで購入したのは、わずかに次の文庫本一冊でありました。

嘘のような日常 (1982年) (中公文庫)

嘘のような日常 (1982年) (中公文庫)

 

  後藤明生さんのいわゆる引揚小説三部作の一つです。いまはつかだま書房

 が三部作を一冊にまとめて刊行してくれていますが、80年代には、この三作が

中公文庫に入っていました。この中公文庫版は、普通にはなかなか目にすること

ができなくて、見つけたらすぐに購入することにしています。

今回の一番の収穫ですが、もちろんそれなりのお値段でありました。(べらぼうな

ものではなくて、今の新刊文庫よりも安いものでした。)

 本日の帰りの車中では、この「嘘のような日常」を読んでおりました。後藤さん

がえがく朝鮮半島での暮らしのことなど、とってもよろしいことであります。