やっと順番が

 いつから借り続けているのかわかりませんが、ちょっと前に刊行されたもの

ですし、人気のあるものではありませので、予約がはいることもなく、読み終え

るまでどうぞ借り続けてくださいという感じで、ここまできました。

 書名は自伝となっていますが、インタビューに応じたものをまとめたもので

ありまして、内容はめんどうなものではありません。たぶん、専念して読みまし

たら、すぐに読めてしまいそうです。

 当方は、この作家さんの作品は、そこそこ読んでおりますので、この話題は

知っているなというものが多いのですが、それでも初めてきく話であるように

楽しめることです。

 たとえば、つぎのような話。

「私が府立六中に入るのは太平洋戦争が始まった翌年です。・・私たちの小学校

の学年は百五十人くらいの生徒がいましたが、そのうち、四中に二人、六中に

三人、それから私立に行く子が十人くらいいましたかね。あのころいちばんの

秀才は四中か一中に行ったので、六中に行くのはいわば二流(笑)。まあ勉強は

それなりにできたほうですが、模型飛行機とか天文学とか、勉強以外のことに

ついて興味をもってしまうし」

 このように自伝で語っているのは、加賀乙彦さんでありました。

  加賀乙彦さんは陸軍幼年学校にいっていたことは有名でありましたが、そこ

へは都立六中から進学したのでしたか。これは知りませんでした。しかも敗戦後

には、幼年学校から以前に在籍していた六中に戻ったのですね。

 この本の注には「都立六中は、現在の東京都立新宿高校。戦前は府立中学のなか

でも厳しい軍国教育の学校として知られた。加賀さんの同窓には、作家の小沢信男

評論家の栗田勇日本共産党中央委員会前議長不破哲三らがいた。不破とは同級」

とあります。

 なんと、このようなところで小沢信男さんの名前を見ることになるとはです。

小沢さんの書いたものには六中時代のものがあるのですが、あの時代は復員者が

いたり、小沢さんのように病気になって落第した人などもいて、同じ学年といって

も年齢差はずいぶんとあったようです。

 小沢さんは1927年生まれ、加賀乙彦さんは1929年で、そういえば小野

二郎さんも1929年とあります。

 小野二郎さんの年譜を見ましたら、1942年に六中に入学、44年に海軍兵

学校に入学し、45年敗戦とともに六中に復学とありました。

ということは、加賀乙彦さんに一番近い経歴というのは小野二郎さんとなります

ね。

 小沢さんの書いたものを、もうすこし見てみるようにいたしましょう。