しばらく夏休みということで遊び呆けておりましたが、それもそろそろ終わり
になりそうです。
この休み期間中に行ったことといえば、客人を向かい入れるための片付け、その
客人が来ることができなくなったので、青春18きっぷを使っての旅行、そして
通院に、ライブ参戦、最後には高校同級生の葬儀出席でありました。
そこそこいろいろなことがあったことであります。
本はといえば、昨日に話題にした高杉一郎さんの「極光のかげに」のほかは、
島田雅彦さんの「時々、慈父になる。」を読んでおりました。
島田さんの小説はなんとも軽いというか、重たくない小説でありまして、それで
いてアンチ島田さんたちをイラっとさせるような記述があちこちにありです。
これはどちらかというと、現代の世相というか政治状況に関するところにですが、
引用はしないものの、これは本当にそのように思われているのでしょう。
そのくだりよりも、作家などについてのところに目がいくことです。
「新宿の酒場でよく顔を合わせていた坪内祐三も秋山祐徳太子も亡くなり、少し
前には西部邁が多摩川で自殺を図っていた。そして、私が最も敬愛する文豪古井
由吉もひっそりと、近所に散歩に出かけるようにこの世を去った。
さらには瀬戸内寂聴が大往生を遂げ、西村賢太も青山真治も逝った。この世で
一緒に楽しく過ごした人がこぞって身罷ってしまうと、急にこの世が色褪せ、つ
まらなくなり、彼らがいるあの世の方が俄然楽しそうに見えてくる。」
島田さんが「最も敬愛する文豪 古井由吉」とあるのを見て、作風はまったく
違うのに、古井由吉さんを尊敬しているのに驚きました。
上に引用したところの後のところでは、このようにありました。
「私は四十代半ば過ぎから、老い方の理想を古井由吉に見出そうとしてきた。
彼自身が五十代の頃から老人小説を書き継いできたが、晩年に至って、生と死、
夢と現実の間を自在に往来する境地、頭脳明晰を突き抜けた先に開ける仙人的
な悟りに、すでに到達していた。」
古井さんは、亡くなる直前まで小説を発表していて、晩年の作品は当方も購入
して読んだのでありますが、島田さんのような認識にはならなかったことです。
島田さんのガイドによって古井さんの作品を読んでみることにいたしましょうぞ。