すこしでも近づけたら

 その昔はドイツ文学を専攻してから小説家になった人の作品には、ちょっと

甘美なところがあると言われていたいました。そういう時に例としてあがった

作家さんには、どのような人がいたでしょうかね。

 そこにあがっていた作家さんの名前をみましたら、なるほどなと思ったもの

ですが、それはすっかり忘れています。今思いつくところでは、柴田翔さんとか、

中野孝次さん、ちょっと若くて芦原すなおさんなどがそうですね。

 今はほとんどそのようなことは言われなくなっているように思うのですが、そ

れは古井由吉さんのような作家さんがでてきたことと関係ありでしょうか。

 柴田さんの小説は、長いものであってもなんとか読むことができるのですが、

古井由吉さんのものは、まるで苦手でありまして、つい最近も遺作となった小説

集を図書館から借りたのですが、短い作品であるのに撃沈でありました。

 先日に図書館へと行きましたら、古井さんのエッセイ集がありましたので、そ

れを借りてみて、すこしでも文章のリズムに慣れることはできないかと思いまし

たです。

書く、読む、生きる

書く、読む、生きる

 

 ほとんど何も考えることなくパラパラとページをめくり、気になった文字が

目に入ってきたら、そこで立ち止まることになりです。

 1994年の文章に「馬の文化叢書第九巻『馬と近代文学』』解題」というのが

あって、この見出しが気になりました。「馬の文化叢書」なんてのを出している

版元はどこでありましょう。そう思って見ましたら、「馬事文化財団」とあり

ました。なるほど。

 すくなくとも当方が子どもの頃までは田舎は馬の力なしでは成り立たないので

ありました。農家も漁家も山仕事でも、馬は車のかわりでありましたからね。

そんなことから、当然のように馬との暮らしを描いた文学作品は多く発表され

ています。 

 古井さんは、このような田舎における馬との暮らしを描いたものではなくて、

「都市文学の中にもどうにかして馬の跡はたどれないものか」として探索する

のでありました。

 こうして思いついた作品に上林暁さんの二つの短編があるというのですが、

タイトルにもずばり馬とはいっている作品のことは、ほとんど知らずでありま

した。この文章とあわせて、上林作品をのぞいてみることにします。